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原則24「自分の過ちを話す」|人を動かす

どうも!カフェでアイスを頼む人が増えて来るほど暖かくなってきましたね、新垣才です。今日も楽しく紹介していきます!

<この記事の目次>
・原則を実践したカーネギーの実例
・誤りを認めるといいこといっぱい


原則を実践したカーネギーの実例

「自分の過ちを話す」ってどういうことでしょうか?
イメージを掴むために今回はまず、カーネギーの実例から紹介していきたいと思います。

カーネギーは昔、ジョセフィーン・カーネギーという当時19歳の姪を秘書として雇い始めたたそうです。初耳ですね。笑
ジョセフィーンは今でこそ優秀な秘書ですが、雇った当初はへまばかりしていました。そこで、カーネギーは彼女に小言を言おうと思ったのですが、ふとこう思い返したそうです。

「ちょっと待った。デール、お前はジョセフィーンより倍の年上ではないか。それに仕事の経験は彼女の何万倍も持っている。彼女にお前と同じ能力を期待するのがもともと無理だ ー もっとも、お前の能力といったところでたいしたものではないのだが。第一、お前は十九の時どんなことをやっていたか、思い出してみろ。へまばかりやっていたではないか」

そして、彼女にこう言いました。

「ジョセフィーン、これはいけないよ。しかし、まあ、私が今までにやった失敗にくらべると、これくらいは物の数ではないさ。はじめは間違うのが当たり前だよ。経験を積んではじめて間違いもなくなるのだ。私の若い頃にくらべれば、今のお前のほうがよほどましだ。私はずいぶんへまをやった覚えがあるから、お前に小言を言う気にはなれないが、どうだろう ー こんなふうにしてみては...」

どうでしょう?こう言われたら悪い気はしませんよね。偉ぶる様子もなく、自分のためを思って注意してくれてるんだなというのが伝わる言い方です。^^


誤りを認めるといいこといっぱい

人に小言を言う場合、謙虚な態度で、自分は決して完全ではなく、失敗も多いがと前置きして、それから間違いを注意してやると、相手はそれほど不愉快な思いをせずに済むものだ。

この原則はあくまで事実に基づいています。完全な人間、失敗したことのない人間はいません。

また、人によっても得意不得意は違います。たとえ、数学のテストで満点しかとったことがない人でも、数学が出来ない人に偉そうにしていい権利はありませんよね。その人は国語、社会、あるいは家庭科では失点したことはあるはずですから。(そもそも、失点する = 失敗 ではないですが、わかりやすそうな例えとして使用しました m(_ _)m )

難しいことかもしれませんが、事実を認めて謙虚になりたいものですね...!

また、カーネギーはこうも言っています。

自分自身の誤りを認めることは ー たとえその誤りを正さず、そのままにしておいても ー 有効である。

ちょっと楽になりますね。正さずとも有効だと。
むしろ、誤りがある方が親近感がわくかもしれませんよね。
気楽に、でも謙虚に。お互いハッピーになる原則じゃないかな〜と感じます。

※正さなくても良いとは言っていないので注意。時と場合によると思います^^;


というわけで、今回の Next Step はこちら。

Next Step
・小言を言いたくなったら、自分の過ちを話してから伝える。


読んでいただき、ありがとうございました!

「子供叱るな来た道だもの
年寄り笑うな行く道だもの
来た道 行く道 二人旅
これから通る今日の道
通り直しのできぬ道」
ー 永六輔『無名人名語録』 ー

原則24:まず自分の誤りを話したあと相手に注意する。

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