中立的なものとは癒しである。癒しがあるから考えられる。

私は、つい物事を白か黒か。善か悪か。二元的な考えの間で色々と考えてしまう癖がある。

そしてその見方は、大方のところ主観や好みというかなり怪しい個人の価値観に頼っています。

そんな見方で世の中を判断していたら、とても疲れます。なぜ疲れるかと言うと考えてしまうからです。

そして考えて何か答えを出したら、感情を伴います。良い感情も、悪い感情も。
それも疲れる。

自分の軸を持てと言うのは、世の中の見方というのを、自分の経験を元にし固定している状態、この場合は黒、この内容が来たら善、のように自分の中にある程度のパターンに対して、考えないで答えの出る状態なのだと思う。それは疲れないかもね。

だから人は、年を取ると変われないのだと思う、経験も豊富なのでそのパターンが固着してしまって、それを疑う体力も残っていないからだ。

でも、世の中そんなに単純に出来ていない。

大体のことは、グレーで正解がない。それでは軸なんか作ってしまったら疲れないかもしれないが、とんでもないミスを犯してしまいそうである。

そりゃ私も、疲れたくはない、特に人より知力、体力ともに平均以下であることは自覚しているので、なおさら。

でも、疲れるから考え方を固定してしまうのもなんだか、納得できない。というか出来ないのである。いつもぶれぶれ、その場任せなんです。
信念みたいなものがある人には憧れる。が大体そう言う人とはうまく付き合えない。

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