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回顧録と抱負

僕は、美大になんとなく入った人間である。

美大とは行っても、絵や芸術分野では食っていかれないだろうという理由で、世の中に職業として認知された存在の建築を専攻した。

高校生のとき何か物を作りたいという思いにかられ。幼少のころから図画工作が好きで、立体物に対して何か魅力を感じていたんだと思う。

そして、「家を作りたい」と思ったのだった。これは人間としてすごい純粋な欲望だなぁと思う。

いざ建築学科に入ろうと考えたが、建築学科と言えばバリバリの理系大学になる。しかし自分は理系の学科が全然だめ、というかお勉強自体が全然だめだった。

一応進学校と呼ばれる学校であったので周りが受験モード一色になっている中、ほぼビリの成績をたたき出し、建築学科のある志望校判定は圏内に入らない。さすがにやべえと焦っていたときに、美大の建築学科と言う存在を見つけた。

それを見つけたのは、高校三年の夏ぐらいもう半年くらいしかなかった。

受験科目に理系の学科なくてもよいのか、すげーじゃん、それならいける!そんな不純な動機で美大を目指したのだ。

藁をもつかむ思いだったので、それを見つけたときからは早かった、親に頼み、美大受験の予備校に入り、なんだか分からないうちにデッサンを描いていた。

そこからは、絵を描いていればいいんだという安心感、というか多分無心になれたんだと思う、正直あんまり記憶がない。努力したという感覚も残っていない。

そして、あっという間に受験が始まり蓋を開けてみれば、受かってしまっていた。

受かってしまっていた、というのも変な言い方だが、当時予備校の先生から「現役で入れたのはいいが、あとで苦労するぞ」と脅されいた。

そして今、その言葉が約13年のタイムラグを経て胸に突き刺さっている。

いま思えば、その大学合格時が自分の人生のピークだったのではと思う。

完全に気をよくした自分は「身の丈も知らず」状態でなんとか大学時代も過ごし、理想が高くプライドも高く建築設計の仕事を始めた、そして建築はそんなに甘くなかった。見てみぬふりして付け焼刃的に取り繕っていたことが自分を追い込んでいき。

結果として、社会に、仕事に、生きることにさえも追い越されてしまった。

きっと今、みんなが若いうちに苦労したであろう事をいまさらながら体験しているのだと思う。

しばらく、もがき苦しんだあと思考停止状態に陥り、最近ふと高校生のときに抱いた純粋になんか作りたいという気持ちが急によみがえってきた。

不思議な気持ちだった、なんだか安心感もあるけれど、やる気もあるそんな感じ。多分、一通りプライドもぶっ壊れ、身の丈をやっと自分で理解したんだと思う。

高校生のときに思ったその気持ちを、すこしでも叶えてあげられるように、プライドや逃げてきたものに対峙して、自分の身の丈にあったやり方、場所を見つける努力をしようと考えている。

来年への抱負でした。





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