闇と光の扉

Do you know where the entrance is?
声をかけてきた外国人の老夫婦は、美術館の入り口がわからないらしい。彼らの持つガイドブックに、見たことのない文字が並んでいた。聞けばイスラエルから来たと言う。イスラエルには、新国立美術館のようなガラス張りの建物はあるだろうか。私はしばらく玉ねぎ型の屋根を想像して、アラビアンに対する自分のイメージの乏しさを感じた。偶然行き先が同じだと伝え、二人を連れて正面の自動ドアをくぐり、人混みの奥のミュシャ展へ向かう。

アール・ヌーヴォーの王様アルフォンス・ミュシャは、商業用ポスターの美しいグラフィックデザインで有名だ。しかし晩年は、自身のルーツを題材にした絵画作品を多く制作した。今回東京にやってきたのは『スラヴ叙事詩』。全二十作からなるこの大作を描くきっかけとなったのは、ミュシャがアメリカ滞在中に聴いた、ボストン交響楽団による『わが祖国』の演奏だ。故郷チェコ、スラブ民族には様々な戦いと支配を乗り越えた歴史がある。ところが、当時それを伝える絵画作品はまだなかった。スラヴ民族の歴史を芸術の力で世に知らしめるのが、余生を捧げるべき己の使命だと感じたそうだ。スメタナがボヘミアの民族独立運動に触発されて作った交響曲が、ミュシャの民族意識を高めたのである。
制作資金と場所を見つけ、歴史学者に相談し、ロシアやヴァルカン諸国を訪ね、ギリシャの東方正教会を見学したミュシャは、五十歳の時、満を辞してスラヴ叙事詩の制作に取り掛かった。

薄暗い展示室の壁はくすんだ紫色。休日だから人が多く、美術館にしては騒々しい。なかなか順番が回ってきそうになかったので、イントロダクションのパネルを読むのは諦める。気づけばイスラエルの夫婦ともはぐれてしまって、さよならも言えなかった。しかし私の小さな苛立ちは全部、スラヴ叙事詩の一枚目『原故郷のスラヴ民族』を見た瞬間、彼方へ吹き飛んだ。
高さ六メートルはあるだろう画面は、透き通った青い星空に覆われている。アラブ風の鎧を纏った無数の騎馬隊が遠くを駆ける。まだ一つだったスラヴ人達を襲う異民族の侵入だ。手前の茂みには、身を潜めながらこちらを見つめる痩せこけた男女。悲しみや恐怖だけではない、鋭い意志を持った漆黒の眼差しをしている。画面右上の空に、両手を広げて浮かんでいるのは、スラヴ民族の司祭。戦いと平和の擬人像に支えられながら、神に慈悲を乞う。彼の真っ白な衣装が、幾千もの星を従えて眩しく煌めいている。他国他民族の支配を受け続けた人々の苦難と、それでも闇の中で光る誇りを見せつけられた。

二十点全ての作品が一歩も引かない存在感を放っていて、ひたすら見惚れるしかない。占領され、言語を禁止され、散り散りになり、彷徨い、結束し、立ち上がり、文化と自由を再び手に入れる。大陸間の大移動や、異民族からの支配を経験していない島国の私たちこそ知るべき、アイデンティティの戦いがそこにあった。
締めくくりの一枚『スラヴ民族の賛歌』に描かれた、勝利を祝うスラヴ人たちの姿を見ると、このスラヴ叙事詩が決して反戦の作品ではないとわかる。黄色や赤の華やかな色彩の中で、ハンガリー帝国の終焉を喜ぶスラヴ民族。冷たい色で霞みがかったように描かれたかつての敵や神話の人物たちが、これから始まる未来の鼓動に耳を傾ける。誇りと希望の勝利、それを伝えるためにミュシャは、鑑賞者を飲み込む巨大な画面を用意したのだろう。コンピューターがなかった時代のVR体験装置だ。鋭い目をした人々は、思い切って近づいてみればまさに等身大で、唖然とする私はいつの間にか絵の中の世界に飛び込んでいる。昨日まで知らなかった歴史の戦場に立ち尽くし、二度と忘れない景色を目の当たりにしていた。

Do you know where the entrance is?
ミュシャが誘なう壮大な歴史の入り口はここだ。


島川 柊