黒よりも暗い -9-

岩が見える。岩の窪みに雨水が溜まっていた。雨水を飲み干していた。喉が渇いていたことに気付いた。喉を渇いていた感覚はなかった。体調は悪くなかった。むしろ回復しつつあった。ここへ来てから回復していたのだと体がラクになるのを実感してから後に気付いた。もう回復はすることはないと思っていた。じっとして動かずにいることに耐えていると少しずつだが確実に回復するのかもしれない。しかし、幾度か下界から地響きのような音が聞こえ目を覚ます。とても不快である。さらに人間の声。この人間の声も倒れそうになるくらい不快である。叫びたくなる。それほど苦痛な音である。大人の男の声は特に辛い。なぜだかわからない。聞く機会が多いだけで女もそうなのかもしれない。どちらにしろ不快である。不快以上に命の危険さえ感じるほどだ。激しい鼓動を感じ冷や汗をかく。倒れそうになる。やめてくれ。どうにかなりそうだ。静かにしてくれ。黙っていてくれさえいれば、静かにさえしてくれていれば何も危害はくわえない。そのような気持ちでひたすら我慢する。人間は特に大きな声をだしているわけではない。騒いでいるわけではなさそうだ。私が純粋に人間の声にかなり不快に感じるようである。自然の音は大きな音でも気にしない。ますます人間が嫌になる。私の領域を侵さなければ耐えるしかないと思っているがわからない。我慢の限界を超えそうな気もするができるだけ我慢し続けようと思う。力づくで抑え込んでもよいのだが人間と関わりたくない。とにかく人間が嫌なのである。私にはまだ人間の心が残っている。人間へすすんで暴力を働きたいわけではない、今は。私の領域を侵さなければ。人間は自然の真似をしているように見えるが人間はとにかく偉そうである。自然を支配していると勘違いしているようであるが、そもそも真似もできていないのである。風で靡く草木の揺れ。色とりどりの花や空や雲。音ものどかである。力も大いにある。人間なんて太刀打ちできないのである。なのに何故自然の中で傲慢に生きれるのか。私には理解ができない。自然に敬意を払う人間は下界に何人いるのだろうか。悲しみを通り越し、怒りを通り越し、既に諦めている。下界に生きる意味は既に無い。鬼のような生き方もよいのかもしれない。人間は不味そうで喰う気にもなれない。このように思う私は既に鬼か。今のところ腹は空かない。喉は渇かないが水は飲むようである。食物よりもとにかくぐっすり眠りたい。下界は兎に角うるさい。どうしてあの綺麗な景色、青空、夕焼け、小川、木洩れ日などが人間の下にあるのだろうか。勿体ないであろう。彼等は自然を大切に扱わない。ごくごく一部だろう大切にする人間は。自然を汚す、傷つける。なぜだ。なぜ野蛮な人間共が支配しているのか。考えると怒りに震えてきた。なぜ私はこの薄暗い場所で生きなければならないのか。崇高である自然を慈しむ私がなぜ美しい自然の中で生きてはいけないのか。自然から拒絶されているように思ってしまう。なぜなのだ。私が人間ではないからか。鬼だからか。自然を愛しても鬼の私には恩恵を受ける権利はないということか。私は自然を汚さない、傷つけない。ただ共存しただけだる。しかし、私は自然からも排除されているらしい。どこからも私は弾かれるのであろう。鬼は闇に生きる宿命なのだろうか。鬼が自然の下、光の下で生きてはいけない理由はあるのだろうか。そのようなことは断じて無いと思いたい。私のような鬼は他にいるのだろうか。もし存在しているのであればその鬼に問いてみたい。探してみようか。もう私独りでは限界かもしれない。とうに限界なのだが腐り続ける私。永遠に枯れることなく腐り続けている。死ねないのなら理解してくれる者に殺してもらおうか。生憎、右肩の鬼さえ隠せればなんとかなるだろう。どうやら人間同士も無関心らしい。鬼にとっては好都合である。人間であることの喜びも疾うに無くなった。ここまで人間としての使命を与えられず、そして鬼にならなければならなかったのであれば、これからは鬼として死にたい。それが私の使命である。誰かに死を与えてもらいたい。鬼の喜びはわからない。鬼に変わったからなのか自然が好きになる。なぜなのか。人間だった時よりも。ふと右腕が気になった。右腕がひとつの刀になったようだ。自分で変化させることができるらしい。ごく自然に変化できる。驚きはしない。意識が半分無い。つまり夢の中にいるような感覚なのである。ここに来てからずっとである。なので、あまり驚かないのかもしれない。夢であれば早く覚めたい。しかし、そう思えばかえって絶望を強く感じるのが嫌でそう思うのは無意識に停止している。希望はもたない。期待はしない。将来に喜びはない。突然、刀に変化させて自分の首を刈ろうとした。振り上げた刀を振り下ろせない。右腕が動かない。どうやら右肩に棲みついた鬼がとめているようだ。そうなのか。私が死ねば鬼も死ぬようである。鬼の表情は相変わらず動かない。鬼に死を止められる私は一体何者なのだろうか。死にたくても死ねない。私は生きる地獄を味わうために生まれてきたのだろうか。死ねないのであればこれ以上自分を傷つけてもしょうがない。刀は大きさも調節できる。何者でも仕留めることができそうな刃物になる。虎や熊でも平気そうだ。どうやら歯も伸びてきた。これも調節できそうだ。刀を振り回すだけで気が紛れる。とにかく振る。振り続ける。過去の私を何度も切っていた。切っても切ってもまた現れる。それでも切り続ける。切り続け、切り続け、いつの間にか考えるのを止めていた。夜の霧とともに私は薄れていく。




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