黒よりも暗い -21-
どうやら人工ロボットとして生きるよりも、孤独の寂しさの方が辛いようだ。独りで生きていくことができず、ロボットとしての道へ戻ろうとしてしまっている私。再びロボットとして生きるのであれば死のうと決めているにも関わらずだ。死にましょう。死にましょう。今までの私。死にましょう。死にましょう。今の私。死にましょう。死にましょう。これからの私。考えることなく歩みましょう。歩きたくない道は歩かない。歩ける道を歩きましょう。それが生きる道。歩くことこそが人生。進むことこそが人生。複雑に考える必要はない。軽やかに無理せず歩きましょう。時には休みましょうか。道は長い。景色を見ながら歩きましょう。雨が降ってきたら雨宿り。久しぶりに寝た感じがする。音は静か穏やか。体に刺激がなく緩む。しかし、体はいつも通り辛い。いつも辛い。今日の空も曇り空。また同じ日が始まる。不変の法則はある。私はいつか必ず死ぬだろう。だが過ごす日々は同じである。よくもわるくも刺激がなければ生きていけない人も気持ちがわかった。喜びがない。楽しさが味わえなかった。苦しさや痛みが物凄く感じる。感じることができなければ生きている実感はない。私は喜びを感じることができないロボットなのであろうか。妖怪でもなく鬼でもなくロボットなのか。痛みがある。この痛みも人工なのだろうか。周囲の人間と微妙にずれる。時には大きな差で。会話も行動も合わない。合わせられない。溶け込めない。溶け込もうとしても弾かれる。波がひくように散っていく。私がロボットだとしたら何の為に生まれたのだろうか。存在する目的は。この呼吸も人工なのだろうか。ロボットなのにいつも疲れているのだろうか。いつも悲壮感を、絶望感を抱えているのだろうか。だから失敗作なのだろうか。感情があることで既に失敗作として投げ出されてしまったのであろうか。誰も答えてくれない。ただ自問自答するだけの日々。他は夢中になれるものが何ひとつ無い。あるとすればこの自問自答である。これを哲学と呼ぶのであれば私が唯一夢中になれるのは哲学である。再び人間界に目を向けると私が鬼であることに疑問を持つようになる。私は半分鬼ということか。私より忌々しい気を発している鬼が人間と姿をして紛れ込んでいるのがよくわかった。だからと言って私半分鬼なので既に悪という見方をしていない。正義感というものは既に捨てていた。もう人間界も人間なのか鬼なのか妖怪なのかわからない世界となっているのかもしれない。表面的には統制がとれているが、中身は形をなしていない。無機質である。人間界で命の躍動を感じ取れるのは鴉ぐらいであろう。鴉は必死に頭を働かし体を動かし食べ物を手に入れようと動きまわっている。命の躍動とは欲するものを必死に手に入れることではないだろうか。この世は欲する環境が奪われているようにも思う。限りなく大きな制限がある。それを管理ともいう。食べ物で言えば毎日餌を与えらえる生活。食に困らない代わりに自らの意欲が持てなくなる。はじめから決められた制限の中、強引に意欲を持たなければ生きる意欲が沸かない。強引に選べない者はどうしたらよいのだろうか。そもそも人間とはなんぞや。私には人間と鬼に見た目以外に区別がつかない。平気で人を陥れる。罪悪感はない。自分の利益不利益で態度を変える。鬼と妖怪と何が違うというのか。彼らが可哀そうに見えてきた。強者が支配する世界。偏った判断しかできない私はロボットである。半分を少しでも上回ったら全て満たされる。その逆も然り。だから平均以下、例えば100%のうい45%の人間は0%と判断してしまい悪と判定していまう。私が殺戮ロボットであったら末恐ろしいことであった。私に力が無くて良かったと思っている。大概の者が50%を行ったり来たりしているのである。これがこの世なのである。100から0へ行き来する私がおかしいのである。奇人変人なのである。同じ場所を歩き回っている。まるでブラックホールの中で走り回っているかのよう。抜け出せない。抜け出せたと思ってもまた同じ場所へ来てしまう。脱出口はどこなのだろうか。ずっと探し回る。生命エネルギーが果てそうになり、死ぬかどうかの瀬戸際になっても探し回る。諦めようとしてもまた自分を奮い出し探し回る。でも見つけられない。どうしたものか。いつもと違うことをしてみるか。押しても駄目なら引いてみるか。今までと違うやり方がわからない。今ままでと違うと思うことをすればいい。死ぬすれすれなら、死ぬ前にやってみてもいいかもしれない。やってみようか。私より苦しんでいる人は多くいよう。しかし私も相当苦しい。痛すぎて我慢できない。叫び声をあげずにはいられない。それでも周囲は見て見ぬふりをして通り過ぎる。聞こえていないふりをして通り過ぎる。それでいいのである。このまま叫び声をし続ける人生はもちろん嫌である。だが激痛である。我慢できるのであればとっくに我慢している。かと言って、この何も生まない人生を続けるにも疑問を持ち続けている。疑問を持ち続けるレベルではない。発狂しそうである。憎い。この人生が憎い。憎くて憎くてたまらない。それだけで精一杯である。耐えるだけで精一杯である。人生、拷問である。
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