黒よりも暗い -25-

アルバイトさえ受からない。絶望の気持ちが沸き上がるが、同時にほっとしている自分がいた。元来働きたくない気質を持っているのだろうと思った。根拠は無いが文芸タイプ。紙一重の自己分析。単なる働きたくない愚かな人間である可能性が大きいのである。もう今の原因はわかっているのである。それを受け入れていないだけ。認めていないだけ。原因は恐怖。幼少から恐怖に置かれた人生だったのでやりたことなんてない。子供の頃の夢なんてない。子供の頃楽しかった頃なんてない。受動的なものはある。テレビを見たり映画を見たり。それは大好きだった。だが今から映画監督を目指すのか?もう40である。さすがに私自身も無理だとわかる。今まで心が傷ついた体験、繊細な感受性を活かし今から精神科医、臨床心理士を目指すのか?無理である。周囲はやる気があればできると言うが無理である。そもそも私の生命エネルギーは枯れる寸前である。まずは回復することが第一だと思うが常に焦る。常に職を得なければいけない焦燥感で残りのエネルギーをますます消費することになる。倒れる寸前である。かろうじてやれることはネットで求人検索して履歴書を作成し応募することだけである。つまり、決まりきったテンプレートに沿って生きるだけである。そもそも幼少からテンプレートに沿った生き方だったのである。しかし、入社と同時に放置と虐め、八つ当たりが始まる。テンプレートではないのだ。むしろ逆である。無法地帯。だから辞めるのが自然なのである。私は一体どうしたらよいのだろうか。食べるためにはお金を稼がなければいけない。アルバイトさえ受からない。かと言って本当は会社員として働きたくない自分がいるのだ。しかし、やりたいことがない自分に絶望しているのだ。唯一文を書くことだけだ。これだけに希望を持ちたい。もちろん、傾聴する能力も高い方だと思うので、傾聴セラピストも考えるが、考えただけで進んでいない。手が動くのはこの文を書くこと。そして、履歴書を書くこと、応募することだけである。車の運転もできるが運送業界も考えるが、ニュースではパワハラを聞くことも珍しくないので恐怖で応募できない。過疎地やご年配の方々へ生活用品を運ぶ仕事も思いつくがそれ以降進めない。幼少からテンプレートの沿って生きてきて、会社員として生きたくないと言っても無理だろうが。狭間である。これを20年間苦しんでいる。阿呆である。私は中途半端な阿呆である。しかし、人生を砂時計としたら、残りの砂は半分以下であろう。今も刻一刻と砂は落ちている。傍観するのが精いっぱい。砂時計ごと壊してしまいたい衝動に駆られる。残りの砂を一気に落としたい衝動に駆られる。時は戻せない。後悔してもどうしようもない。そんなことはわかっている。時間を無駄にしている。どう生きていけばよいかわからない。呆然自失である。今だけに専念する。今だけのことを考える。とにかく今、今、今。今私は何をすべきなのか。何が希望につながるのであろうか。既に死んだような人生だが、まだ死んでいないとしたら、まだ私には生きがいのある人生を創れるチャンスはあるはずである。チャンスを失ったときは死んだとき。私はもう求人へ応募するのをやめたほうがいいか。フリーで生きていく覚悟を持たねばならないのか。いやらしくアルバイトとフリーを両立させようとしていたのではないだろうか。両方に保険をかけようとしていたのではないだろうか。かと言っていきなり極端な行動をする私もいる。少し少し石橋を叩きながら進むやり方は間違っていないようにも感じていた。だとしたら時代のせいにしていいのか?アルバイトがみつからないということだけは。応募はしているのである。面接もしているのである。それでも受からないということは天から「会社員として働くでない」と言われていると捉えていいのではないか?私が落ちて他の人は受かることもあろう。全て40代以降受からないわかではなかろう。それか私の職歴で受かる要素がなければ生活保護を有難く頂戴したい。しかし、周囲はそれを許さないであろう。訳の分からぬプライドという視線が突き刺さる。私は努力したのである。それでも無理ならセーフティーネットに頼って何が悪い。ましてや持病も抱えている。働けと言われながら雇ってくれないのである。こんなふざけた話があるのであろうか。それでいてセーフティネットを頼るにも幾重にも障害があり、頼りたくても頼れない。初めから断念するのである。あるとすればホームレス。それか餓死。雇ってもらいえないのであれば自分で仕事を創るしかない。自分で自分を雇う。しかしながら私に商才などあろうものか。やりたいこともないのである。体を使う仕事も考えるが、パンデミックにより足が重くなる。とん挫する。時間だけが刻一刻と過ぎていく。砂だけが落ちていく。私は砂が落ちていく光景を見ているしかないのであろうか。それが私の仕事なのであろうか。なんと惨いことか。天は私に苦痛を与え続けるのであろうか。私は何か重大なミスを犯したのであろうか。それは私に死をお与えください。それでも諦めず生き、苦しみながら生きます。天がそうおっしゃるなら、苦しみながら生きます。

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