黒よりも暗い -20-

飛行機の中。気分はひどく落ち込んでいる。浪人生。この先どうしていいかわからない。選べない。歩めない。就職がうまくいかない。ひどく憂鬱である。見える世界は薄暗い。声が小さい。血の気は引いている。人生終わってしまったのかもしれない。絶望の入れ口へと進んでいた。隣を見る。母親と娘。その娘が母親に何か話している。母親は頭を縦にふった。その娘は私にお菓子をくれた。とても驚いた。私がひどく落ち込んでいるように見えたのだろうか。嬉しかった。天使に見えた。これほど優しい娘がいるのだろうか。しかし絶望の淵にいた私は軽く会釈することしかできなかった。飛行機を降りるときお礼さえできなかった。小学生の時助けられて以来のことである。まさか赤の他人、しかも10歳以上年が離れた男の私にお菓子をくれる。奇跡と言っていいほどだ。2度目である。女性に助けられた。手を差し伸べられた。しかし、この時もお礼が言えなった。つくづく情けない男である。時は違えど私は2人の少女に救われたのだ。これも何かの縁なのだろうか。今は人と出逢うこともない。おそらく20年は経ったであろう。ある意味私は死んでいる。20年前と変わらない。全く変わらない。それどころか、恋人は消えた。友は聞けた。仲間は消えた。仕事も無い。金も無い。私の周りから何もかも消えていく。期待も妄想である。誰も私に興味はない。それはうすうすわかっていた。それでも生きている。何もないところから、小石をひとつひとつ重ねていく。呟いている。大丈夫、と。大丈夫と呟きながら小石をひとつひとつ積み重ねていく。一気には無理なのである。20年変わらなかったのだから。データは集まっているのである。どう足掻いても変われないのである。小さな小さな小石を確実に積み重ねていくしかない。小さいので違ったら退ければよいだけである。これなら私にもできる。その石は小さいな思い大丈夫という思いしかない。根拠はない。特にスキルや経験もない。好きな事やりたい事もない。それでも生きていかねばならない。大丈夫と思うことしかできない。とにかく小さなこと。ごく一部でも整理する。清掃する。自分自身に対して激しく大きく思わない。ごくごく小さな思いや感じることを問いていく。小さくていい。大きなものは私には無理だったのである。過去が物語っている。小さなものどころか裸一貫でも辛い人生なのだ。とにかく小さな小さな希望を積み重ねていく。自分自身に対する小さな希望をひとつひとつ積み重ねていく。自分への問い。周囲はない。私に周囲の世界は亡くなった。あるのは私の中だけ。その中で私は小さな小石を積み重ねていく。大丈夫。大丈夫。大丈夫。それしかできない。それしかできなくとも、それはできる。ならできることをしよう。小さなことを大丈夫だと信じ小さく行動しよう。ゆっくりでいい。もう人に言われることもない。もし言われるのであれば、そこから離れればいい。それしかできないなら、それをすることで精一杯なら、それを頑張ればいい。それだけでいい。恥じることはない。今までよく頑張ってきた。よく頑張ってきたからこそ小さな積み重ねの意味がわかる。相変わらず両腕は思い。全身が硬直している。きしむ。それでも小さな積み重ねだけは止めてはならない。今日は陽がささない。遠くに青空が見える。天気は悪くないほうだ。時が止まっているようにいつも感じる。これは現実なのか。本当に現実なのかわからなくなるのが怖くてわざと大変な目に遭うのかもしれない。わざと苦しむのかもしれない。なぜ現実を傍観してしまうのであろう。既に原因はわかっているのに傍観してしまう。対処法は体を動かすしかないのである。とにかく動く。その代わり外部からの規制がないところで動く。これしかない。だが現実社会は規制がある。なので生きれないのである。社会不適合者である人間は規制があるところでは生きれない。自由に動くことでしか生きることができない。なぜなら幼少時すでに規制で埋め尽くされてしまったで、この恐怖から動けなくなる、または拒絶反応を起こしてしまうのである。順調にロボットとして社会人まで進めた人工ロボットは幸福なのだろう。しかし、中途半端にロボットとして育てられ、途中でロボット教育から逸れたことによる人間としての喜びを少なからず知り体験してしまった者には地獄である。ロボットの人生は。それは即ち死である。だが、私は幼少からロボットとして生きる術を骨の髄まで叩き込まれたエリートである。どうしても体が反応してしまうのだ。時には極端なやさしさ、時には奴隷対応。体が、本能が、奴隷気質なのである。頭で抵抗しても体が反応してしまう。本来の自分で生きようとするともう1人の私が拒絶してくる。体全身に恐怖が漂ってくる。これは闘いである。私対私との闘い。厳密には私対私を人工ロボットとして育てた者達との闘いであるが、それに気付き理解している者は何人おろうか。おそらく自分本来の生き方を実践しているという意味では限りなく少ないであろう。とても恐ろしいのである。自分本来の生き方をするということは。私はわかる。なので自分本来の生き方へ挑まない気持ちも非常にわかる。自分本来の生き方をしない者が間違い、悪など見ることはない。とても恐ろしいということをわかっている私が否定できるわけがない。ということは結局は私は独りなのである。必然的に独りなのである。人工ロボットとして生きるのであれば物質的には独りではない。しかし心は独りである。この世は人工ロボットが人間である。人工ロボットではない者は妖怪や鬼である。人間とはなんぞや。

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