黒よりも暗い -4-

今日は体が重い。だるい。「今日は」と思うのでどうやら寝たようだ。寝た記憶はない。腕が重い。鉛と化している。首の付け根にも鉛が埋め込めれているのか。胃腸も重い。生きているだけで刻々と疲れる。生きていたくない。とても死にたいわけではないので今日も生きてみる。深呼吸をする。何度かしてみる。少しだけ体の強張りがとれていくのを感じる。先ほどより少しはマシになったようだ。眠れなかったのだろうか。何か嫌なことでもあったのだろうか。今日の体はいつになく重くつらい。握力もない。手はカサついている。モノをとろうとしても落としてしまう。やはり景色は薄暗い。少し霧ががっているようだ。空気は澄んでて気持ちいい。今日も洞窟の中を覗いてみる。やはり中は暗い。なんだかいつもより落ち着いた暗闇だ。子供のような暗闇。凪のような暗闇。再び周囲を見渡す。霧ががっているのに今日は少し遠くの景色が見える。と言っても近場と差ほど変わらない。少し先を歩いてみよう。やはり霧ががっている。霧と触れ合う。空気は美味しい。とても静か。音が済んでいる。不快な音はここにはない。空を見上げる。空が見えた。いつもは木々の葉で覆われているのだが今日は空が見える。懐かしさはない。別に空に何も求めていないのかもしれない。空は思ったより明るかった。よく見る青空。真っ青でもなければ曇りが多いわけでもない。少し雲があるよく見る青空。いつも通り見る青空なのでストレスはない。それでも空を見上げ続けてる自分に気付く。少しは心地よいのかもしれない。光も感じ取れる。とにかく今日は空気が美味しいのだけはハッキリと感じ取れる。やはりまだ朝なのだろう。木に触れる。木はいつも同じだ。木は私から離れない。当然だ。しかし私から離れようとしない気持ちが私には不思議と感じることができた。触っても嫌な顔をしない。ありがとう。ここに居ると絶望を四六時中感じているが、場所自体は良いのかもしれない。私を受け入れてくれているのかもしれない。つまり、この場所にいるから絶望的とは言えないらしい。実際ここでの体の苦痛はない。あるのは心の苦痛のみ。この苦痛はいつまで続くのであろうか。苦痛が無くなる日はやってくるのであろうか。絶望を抱えている割には体は幾分かは健康である。鉛のような重さを抱えていても。体はタフなのだろう。心のタフであればと思うが今は何に対してタフかもわからない。この独房のような生活に対して、と考えるならばよく耐えていると思う。絶望を抱えているが発狂することもない。何度かは襲ってきたが。よく乗り越えたと思う。それでもまた襲ってくるかもしれない。今は比較的落ち着いている。記憶が飛び飛びなのかもしれない。ここはどこからか往復しているのかもしれないと気付き始める。ここに来るとここだけの記憶しか現れなくなるのかもしれない。おそらくここ以外の記憶は捨てたいのだと思う。ここも絶望的なのに。苦しくて辛いがここに居る方がマシなのだろう。それでもどこかへ帰らなくてはいけないようだ。暑さも寒さも感じない。いや、少し暖かいのかもしれない。記憶や感覚が飛び飛びなのでしょうがない。とりあえず生きている。これだけが肯定的に私を支えている。息ができる。手や足を動かすことができる。空を見上げることができる。景色を見ることができる。音を聞くことができる。空気を美味しいと感じることができる。これだけが生きる支えとなっている。他に何もない。私にはこれ以外何もない。私はいつまで生きればよいのだろうか。生きているから生き続けるだけ。それでも死ねるなら死んでもいい。木はどう思っているのだろう。ふと思った。木に話しかける。木は呼吸をしているようだ。あまり深く考えないようだ。他の木にも話しかける。こちらも気は少し元気がないようだ。私に似ていると感じた。悩んでいるようだ。これからもことを。私と同じである。木もそう思っているのだと思うと少しは安心した。風が包んでくれる。どうやらここは居心地が良いみたいだ。独りで考えるより木や風と触れ合うだけで辛さは軽減する。独りで居ると感じる時絶望となるようだ。土を触る。心地良い。寂しさが完全に無くなったと言えないが、独り絶望状態にいるよりかは大分マシである。ただ自然と完全に溶け込んでしまうと自分が死んでしまいそうで少し怖い。完全に心を開くことはできない自分を感じている。でも溶け込み始めた時気持ちが良い。洞窟の中はいつも通り暗いであろう。見る前にそう思った。完全に諦める気はないが、洞窟の中への関心が少し薄れたのを感じる。それでよいのかもしれないと私は思った。もう何もかもどうでもいいとも思った。考え行動するに疲れ果てている。ただただ、風のように雲のように小川のように流れていた。流れ続けたい。妖怪である私は精霊になれるであろうか。妖怪が悪と決めつけるのもおかしい。ある意味人間も妖怪であろう。もちろん私も妖怪である。大自然の偉大さを染み染みと感じる。これが老子のいう道なのかもしれない、とそう思った。

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