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自分がなくなる瞬間、とは

星野源さんの「そして生活はつづく」という本を読んだ。

この本が文庫化されたのは2013年、元々雑誌で連載として掲載さいれていたのは2009年らしいので、それから考えると15年ほど前の文章ということになる。

きっかけはNetflixのLIGHTHOUSE。

星野源さんと、オードリーの若林正恭さんが月に1度集まってざっくばらんにトークをする番組だ。
この番組で、2人の考え方だったり、扱う言葉の種類に、なんというか居心地の良さを感じて、もっと2人の言葉に触れてみたいな、と思って最初に手に取ったのが「そして生活はつづく」だった。

この本は星野さんが続いていく生活の中に面白さを見出すことをテーマにしたエッセイ集。
テレビで見ない日はないテレビスターでも、犯罪者でも、死ぬまで等しく続く生活を面白がってみる、というテーマで書かれたそのエッセイ集には、1人の人間の等身大がそこに現れているような、とても素直な文章が並んでいた。

特に「口内炎はつづく」の回はとても考えさせられる内容だった。

自分のことばかり考えてしまう「気にしい」な自分とおさらばするにはどうすればいいのか?という問いに対して、星野さんは「自分がなくなる」瞬間にそのヒントがあるんじゃないか、と書いている。

しかし、時たま考えなくてもセリフがすらすらと出てきて勝手に体が動いたり、「間違って怒られたらどうしよう」とか「受けなかったらどうしよう」などの不安や、「その役になり切らなきゃ」という気持ちもなくなり、自分が全く誰でもなくなるという不思議な瞬間がある。

〜中略〜

それが客観的に見たらどういう状態なのかはわからないが、個人的には仕事や日常のいろいろから解き放たれたようで、とても気持ちいい。そういった状態を私はいつも、「自分がなくなる」と呼んでいる。

星野源(2013), そして生活はつづく,  文集文庫

これを書いている私も相当「気にしい」だと思う。自分がどう思われているのか、これをしたら自分はどう思われるのか、そういうことを気にしまくって生きている自覚がある。
そんな自分が「自分がなくなる」のはどんな時なのか、日々生活しながら考えたいと、そう思った。


話は変わるが、今回のNetflixの番組、LIGHTHOUSEも、続く生活をもとに考えたことを綴る「エッセイ」という枠組みと非常に近いものだと、「そして生活はつづく」を読みながら感じていた。

星野さんひとりのエッセイではなく、オードリーの若林さんと一緒に多面的に生活を観察し、それを文章ではなく映像として残すという、なんだか時代の変化を感じる新しい形の「エッセイ」。

まだ見ていないLIGHTHOUSEの残りの3話も毎晩の楽しみとして見ようと思う。


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