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せめてものお礼です。今までありがとうございました

去年8月にとても仲良く接してくれた近所のおじちゃんが亡くなってしまいました。私は物心つく前からそのおじちゃんに良くしてもらっていました。ある日は漫画を読みお菓子が食べたいがために、またある日は鍵を家の中に忘れ親が帰ってくるまでいさせてもらったり、別の日には親に怒られた時の避難場所として、さらに別の日にはトイレを借りに行くだけというなんとも厄介なガキだったがおじちゃんはいつもニコニコして私に接してくれました。さらには、一緒にお出かけもしてくれたし、一緒に釣りも行ってくれました。   あっ涙が、、、やばいw                

中学生になり自分が校外のサッカークラブに行くようになってしまい、おじちゃんとの関わりが少なくなってしまった、、、それでもおじちゃんとは会った際には立ち話をして、「学校どう?」とか「サッカーどう?」などいつも私のことを気にかけてくれました。そして最後には必ず「また今度一緒に釣り行こうね!」と言いてお別れしていました。結局行くことはなかったけれど、、、でもおじちゃんと一緒に行った釣りは今でも鮮明に残っています。葉山の天皇の御用邸の近くにある釣りショップで毎回ミミズの様な餌を買い、釣りスポットまで行き、日が暮れるまでズーーーとおっしゃベリをしながら魚を釣っていました。釣れたのはフグばっかりだったけど、毎回とても楽しかったです。できれば最後もう一度だけ2人で行きたかった、、、

おじちゃんが亡くなる1週間前。私は偶然おじちゃんに会いました。その時おじちゃんは用事があったらしく、急いでいた様子だったのですがわざわざ1回私の目の前で止まってくれて、「元気?」「うん」「それなら良っかた。そうだメントスいる?食べかけだけど」「本当にいいの?ありがとう。おじちゃんはやっぱり優しいね」「ありがとう。おじちゃん急いでいるからまたね。あっまた今度一緒に釣りに行こうね!」と私たちはとても短い会話をしました。それがおじちゃんとの最後の会話であり、対面でした。次におじちゃんを見たのは遺影でした。本当なら泣くはずなのに、一切涙が出て来ませんでした。思い出を振り返り、これからもうおじちゃんに会えなくなるのは、とても悲しかったけど何故か泣けませんでした。なんかまた会える気がして、、、でも私は恩知らずなのでしょうか?

そして、先日おじちゃんの娘さんに会い久しぶりにお話をしていると、おじちゃんの話になり、そこから月に1回は必ずおじちゃんが手入れをしていた生垣の話題になりました。おじちゃんが亡くなられてから誰も手入れをすることが出来ず、枝が伸びまくっていました。そこで私は今までのお礼としておじちゃんが大好きだった生垣の手入れをしたのでした。

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新型コロナで亡くなってしまっている人がたくさんいます。その人たちにも家族がいて、友がいます。亡くなってしまうともう2度とお喋りできません、遊べません。そんな悲しいことにならないためにもみんなで乗り越えましょう!長々とありがとございました。

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