見出し画像

事故後2ヶ月の記憶は皆無

[備忘録]17日目【見舞い・カーデ・御座候】

2009-03-25 16:33:19
[備忘録]交通事故17日目(2009.3.25当時の記録)


被害者感情

当時のメモ書きの記録から2009年の私は様々な記憶を探っている。事故当時はパニック状態であったからいたしかたない。それでもメモをとり続けていた。殴り書きもひどく、ページからはみ出るような大きな字で書き殴った者もあり、とても人に見せられるようなものではなかった。それを全て地方検察庁の担当検事にFAXしたことがある。どうしても当時の様子をわかってほしかったからだ。被害者感情丸出しである。

父へのおもい

こんな頃は、意識混濁で呂律もまわらない父の容体は本当に無残なものだった。それでも父にカーデをかってあげようなど、当時の私の思いは本当に純粋だったと思う。今でも出来るだけのことをしているが、あの頃のような娘気分は枯渇してしまっている。父は、気に入らなければ暴言を吐き、食べ物を私に吐きかけていた。当時はまだ身体が思うように動かなかったからこの程度ですんだが、後に身体が回復し元気を取り戻すと、殴る蹴る首を絞めるといった暴行が始まる。この頃の私には想像すらできなかっただろう。まさか殴られ蹴られ首をしめられ鼻が折れ鼻血を流しながら警察に通報する日がくることになるとは…。息を殺して寝たふりをして怒り狂った父をなんとかやり過ごそうとした夜もあった。こうした高次脳機能障害の症状のひとつ脱抑制・易度性は今現在も残存している。それが後遺障害なのだ。

見えない障害 高次脳機能障害

高次脳機能障害は、いつ、どこで、どんなスイッチがはいるか検討もつかない。ゆえに家族でさえ介入は思考錯誤である。17年の経験と積み重ねがあっても、予測不可脳だ。突然罵声や怒声を浴びせられる恐怖は慣れることはなく、むしろ恐怖が恐怖を呼び、父に近寄ることすら怖い。何を見て怒り出すのかわからないため、自宅介護の日の数日前から緊張し目につくところに怒りのスイッチがないように徹夜で隠す片付ける。こうした緊張の連続では心身共に参ってしまう。よく17年も持っていると思う。

高次脳機能障害の症状と対応法 脱抑制

今では書籍だけでなくYouTubeでも専門医が高次脳についての対処法などを分かりやすく解説されている。そういう意味では羨ましい時代である。片っ端から書籍を買い集め、高次脳機能障害の自助グループを探し、ビデオを借りて勉強した時代からしてみたら目覚ましい変化である。


知識以上の医療も補償も受けられないのが現実

被害者が無知であるところに、警察も損保も弁護士も医療も斬り込んでくる。だから被害者は知識を身につけなければ自分も家族も守れない。どれだけ泣き寝入りをした人々がこの世に存在するだろう。無知であれば相手はつけあがる、軽く見る、時には凄んでくるだろう。それは警察や損保だけではない。弁護士や医師であってもそうだ、先に怒鳴って相手の威力を削ぎ自分の言いなりにコントロールするのだ。彼らに対抗するには知識以上のものはない。交通事故も後遺障害も知らなければ、どうせわからないだろうと相手は、本来受けられるはず補償にも医療にも手を抜き始める。要注意なのだ。頭利口の心バカという言葉があるが、本当にその通りの人間がこの世は闊歩している。弱者のままで終わらぬために私は徹底的に知識を身につける以外になかった。