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女優・日永麗の表現はなぜ観る者を強く惹きつけるのか?

現在絶賛公演中の舞台「アサルトリリィ・新章」

その中のトピックとして大きなものの一つに日永麗が2年半ぶりに「アサルトリリィ」の世界に帰ってきたというものがある。


知らない方のために説明しておくと、彼女は秋元康プロデュースのデジタル声優アイドルグループ22/7の元メンバー・高辻麗である。アサルトリリィ・御台場女学校編の第1作目の方では、岬の聖射手・今村紫を演じていた。


グループを辞め、昨年4月9日の芸能界復帰以降、一見縁が切れてしまったように見えたかもしれないが、そもそも筆者は彼女が近いうちに「アサルトリリィ」の舞台にも戻ってくることをほぼ確信していた。


プロデューサーの林修司氏、御台場シリーズの演出家であった佐野瑞樹氏の両名に当時からその演技力や芝居の方向性を高く評価されていたし、両名のプロデュースする別団体の方にも継続的にキャスティングされているからである

・「ホリデースナッチ」→「バンピーラダーズ」(林修司氏が所属する演劇ユニット「dopeAdope」の公演」
・「いえないアメイジングファミリー」→「苦闘のラブリーロバー」(佐野瑞樹氏が脚本・演出を務めるシチュエーションコメディ作品)


復帰作が御台場女学校編シリーズではないことが判明し、2023年のピウスの年間スケジュールが発表された昨年11月の時点で、新シリーズのイルマ女子か新章のどちらかに呼ばれる予想を立てていたのだが、前者がフレッシュなキャストを中心としたルド女シリーズのサイドストーリー的側面が強かったことから、「なるほど、サングリーズルなのね。どのキャラなのかなぁ」とニヤニヤしながら期待していたところ、まさかの敵キャラっぽい役という。詰めが甘かったです。

結果的には、彼女のアサルトリリィ復帰作が今作の甲の花で本当に良かったとしか言いようがなかった。キャスティングしたいとオファーした人、本当に天才だし、感謝しようとしてもしきれない。

闇堕ちして苦しみながら周囲に憎しみの感情を吐き出し暴れる姿、それはさながら作品の裏・主人公と呼んでも差し支えがなかった。彼女の役者としての強みが活かされまくりなキャラなのである。


そもそも彼女自身、一見して闇のオーラが滲み出てることから分かるように、所謂、明るくて器用なタイプの人間ではない。

中学時代は不登校を経験し、高校は通信制に通い、大学は中退している。
一般人と比較すると、他者と協調して何かを成し遂げる経験に乏しかったといえる。メンタルを壊し、グループを辞めることになってしまったのも、他人に上手く頼れなかった心の弱さが一因であったと自身のワンマンライブでも語っている。

その分、ひたすら自分の心の闇に向き合い、時としてそれを詩に書くという手段でアウトプットしたり、音楽や映画、漫画、小説、色んな作品にも触れインプットし、自身の心の糧にしてきた。

考え過ぎるくらいに考えてしまうタイプの人間なのである。そういうタイプの人間は自分自身の思考に飲み込まれてドツボにハマることも多いのだが、一転して芸能という場では大きなアドバンテージだ。


日永麗として復帰以降、彼女は毎月、舞台・朗読劇に出演し続けてきたのだが、とにかく現場の演出家からのウケが良く、それが継続的に同じ団体に呼ばれる大きいな要因にもなっている。

センスや勢い、熱量だけではなく、キチンと理屈で考えた上で芝居するタイプであり、「演出家の意図を直ぐ汲む修正力」を度々共演者や演出家の配信で絶賛される光景を目撃してきた。こういう役者はキャスティングする側のウケが良くなるのは必然の流れなのである。


常に挑戦し続ける姿勢」というのも好感度が高くなる大きな一因であろう。
ただ舞台に立ち続けるだけでなく、常に新しい表現の手法を模索し続けており、それは結果的に自身の表現の手数を増やすことにもなる。ゆえに継続的に彼女を応援し続けている人間に対しても毎回新しい発見や刺激をもたらすから飽きさせないし、「次は何をやってくれるんだろう?」というワクワク感に繋がってくる。

今回のアサルトリリィでも、割りとガッツリ殺陣に挑戦しているが、これほどまで長時間に渡りハードに動くことは初めての経験であるし、そもそも昨年の時点では、体力面の不安から殺陣に対してはその時点で消極的な姿勢を見せていた。

今年3月の「戦国送球~バトルボールズ~大阪冬の陣」は鉄パイプを持ち、8月の「煙突もりの隠れ竜」では徒手によるアクションシーンを演じてきた上での、満を持しての今作だったわけである。


しかしながら、女優としての彼女の最大の魅力は、やはりなんと言っても、だろう。「声が良い」というのは、声優だけでなく映像役者、舞台役者にとっても大きなアドバンテージだ。

多少芝居心が劣っていても、発声や滑舌が良く、声量も大きくて台詞が聞き取りやすいだけで、「この子、上手いな」と観る者に錯覚させることが出来る側面はある。そして何よりそれは最大の個性であり、なんとなく耳に残ることで、今まで知らなかった人間に本人を覚えてもらいやすい。


所謂「普通」のレールから外れ、独特の感性を持ち、繊細であるが故に苦しみ、それに足掻こうとしてきた彼女であるが、そんな彼女が自身の生き様の全てをぶつけている場が舞台演劇という世界なのだ。

少しでも彼女のことに興味を持ったことがある人間、もっと知りたいと思ったことがある人間、「変わってて面白いな」と感じたことがある人間は、多少無理してでも板の上に立つ日永麗の姿を是非一度で良いから観にきてほしい。

現場の空気にしかない、他の何物にも代えがたい価値がそこにはあるし、それは自らの人生にとっても、きっと刺激的なスパイスになることでしょう。

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