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022. エンリック・ミラージェス、ベネデッタ・タリアブエスタジオでの研鑽(バルセロナ)2/2

021から続く

 ―何度もリピートスタディーをした後、ある一点でとどまるー
毎週末にはコンペに駆り出されていたものの、実施段階に入ったサンタカテリーナ市場の屋根スタディーを継続して続けていた。模型をつくり、3Dで検討してスムーズな流れを作り、金太郎飴のような連続断面図で確認する。模型と断面から手直しが何度も行われる。
(上、断面模型1/50)

CADによる市場内部のラインパース

 やっと形が固定されたとされたとき、丁度クリスマス休暇でエンリックがカルメ・ピニョスと設計・監理をした体育施設:Centro de Gimnasia ritmica y deportivaを見学するため、アリカンテへ家族とバカンスで訪れた。

 クリスマス休暇明けに「アリカンテはどうだった?」と質問されたので、その景観に呼応するような屋根形態、内部空間の乾いた大きさ、とりわけ地下に設けられた手洗いスペースが3層の吹き抜けになっていて、まるで教会のようであったことを伝えたうえで、「エンリック。 サンタカテリーナ市場だけど、これだけスタディーを続けても僕にはどのような空間になるのかわからない。」と白状したとき、「ヒロタカ、俺にもわからない。」と言われて拍子抜けした記憶がある。
 契約終了が近づき、エンリックから再び「続けたいだろ?」と言われたのだが、帰国せざるを得ない状況で、2000年2月にスタジオを後にした。
 後に、まだ事務所に在籍されていた仲間からミラージェスの訃報を聞くことになるとはこの時夢にも思わなかった。2000年7月3日、エンリック・ミラージェス逝去。45歳という若さであった。
 当時動いていたプロジェクトは、サンタカテリーナ市場をはじめ、スコットランド国会議事堂、ビゴ建築大学、パラフォルス公共図書館、バルセロナガス本社ビル、ディアゴナル・マル都市公園、と数え上げればきりがない。エンリックのパートナーで伴侶でもあるベネデッタ・タリアブエは2人の子供を育てながら、故人の意図をできるだけ尊重して見事にこれらのプロジェクトを創り上げたのだ。
 エンリックの早世を心から悔やむとともに、すべての施設を完成へと導いたベネデッタの粘り強い対応に敬意を表せざるを得ない。

2006年、エンリックの墓参りに訪れた折、かつての仲間たちからもらったサンタカテリーナ市場内部のコラージュ写真と寄せ書き


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