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大学の卒業式、或いは個人的に母の日

(「noteのcakes」アカウントにて2019年3月24日に書いたものを転載)

本当にネタが無いので、今日あったことを書く。

今日、5年通った大学を卒業した。どちらかというと、あんまり大学に馴染んでいたわけではなく、友達も少ない。そして、その数少ない友達はもう去年卒業しているので、本当にひとりぼっちで式に出た。

もともと結婚式とか、卒業式とか、成人式とか、そういう祝いの場があんまり好きではないので、大学の卒業式も出ないつもりだった。おふくろはむちゃくちゃ来たそうにしていたけれど、僕はかたくなに「行かない」と言い続けていた。先週までは、本当に行かないつもりだった。

でも、先週の水曜日に電話でおふくろと話していて、彼奴が性懲りもなく「来週の卒業式だけど、一応お母さんは新宿のホテル予約しようと思うの…」と言ってきたのを「だから行かないって」と声を荒げて切った後、何故かは分からないけれども母に対して申し訳ないという気持ちが瞬間的に湧き上がって、その後LINEで「あんたが来るなら、行くけど?」と送った。

あんたが来るなら、行く。来ないなら、行かない。おふくろのための卒業式にしようと思った。それは、今まで一度も自分の子供を誇れるようなことも成し遂げずにここまで生きてきてしまった息子のせめてもの罪滅ぼしだったかもしれないし、今後もいつ晴れ姿を見せられるか分からないから、せめてここで……という気持ちだったのかもしれない。

大学の卒業式は、池袋のキャンパス内にある大きなホールで行われた。保護者は、8号館の保護者室で中継を見るらしい。だから、出席しているのは学生だけということになる。せっかく名古屋からおふくろを呼び寄せておいて、卒業式を生で見せられないのはちょっと残念だなあ。

ミッション系の学校だけあって、舞台には大きな十字架が吊り下げられていた。舞台左には大学の合奏部と合唱部が待機しており、校歌と賛美歌、そして入退場の音楽を生演奏する。校歌に関しては、5年間も在籍していたのに全く覚えていなかった。卒業生へ送る言葉としてパンフレットに印字されている聖書の引用は初めて読んだ。豊島区長や大学総長が長い答辞を読み上げるのを、舞台上の大きな十字架をぼんやり見上げたり、大きなビオラを持って所在なさげに待機していた合奏部員を眺めながらやり過ごした。

式が終わった後、学位記を受け取るため、違う棟の教室へ行った。今日は一人ぼっちで予想はしていたけれども、やっぱり寂しい式だなあ、と思っていたけど、教室に行くと卒論を書くために所属していたゼミの教授や一緒に合宿に行ったりしたゼミ生の女の子たちが声をかけたりしてくれて、思いのほか孤独を感じずには済んだ。最後には、学位記片手に記念撮影なんかしたり。思ったより健全な卒業式みたいだぞ、今日は。

去年、狙い合っていた女の子とも話すことができた。その子は紆余曲折あって僕と僕の友人との間で「鯰娘(なまずむすめ)」といういささか不健全な愛称がついていた(ちなみに僕のアカウント名とは無関係です)。もともと外見が好みというわけではなかったはずなのだが、今日は母から借りたという振り袖を着ていて、びっくりするぐらい綺麗だった。綺麗すぎて、「あ、抱きたい」と思った。振り袖って凄い。「(仕事見つけたら)日本酒と魚の旨い店に連れていくわ」(カッコの部分だけめちゃくちゃ早口で言った)と言ったら、喜んでくれた。

学位をもらった後、色々記念撮影をしたりして、保護者の待機室にたどり着けたのは18時半。式が始まってから2時間半も経っている。部屋の中にはもう2組ほどしか保護者は残っていなかった。わが母胎は教室の後ろの方で、一人机にちょこんと座って眼を閉じていた。スマホ片手に、疲れた顔で眠っている。どうりでLINE送っても既読がつかないわけだ。しゃべる人もいなかったのだろう。16時からずっとここで待っていたのか。それを考えると、ちょっと泣きそうになった。「ごめん」と謝ってから、二人で正門に出た。

正門で記念撮影がしたいという母を、今日だけは断ってはいけない日だった。同じことを考える人はたくさんいて、正門の前には長蛇の列が出来ていた。後ろに並んでいた親子に頼んで写真を撮り合った。

その後、ステーキでも食べようということになり、池袋の鉄板焼き屋に入った。目玉が飛び出るほど高価なコース料理を食べながら、母と色々話をした。いつも実家に居る時はなるべく母に近づかないようにしているし、電話は10回に一回ぐらいしか取らないので、久しぶりにがっつり話した夕食だった。途中、なぜか「むりやり中学受験させてごめんね」と言われてびっくりした。むりやり受験させられたつもりもないし、あそこで受験していなかったら俺、大学まで行けていたかどうかもわからないよ。地元のチンピラ中学生にいじめられたりなんかしてさ、引きこもりになってたかもよ、と言った。

現に、小学校で仲の良かったある友達は、地元の公立中学で色々あって消息不明になっていた。そいつは、小学3年生の時にはすでに女子更衣室を盗み見ていた変態マセガキだったが、エレクトーンが天才的に巧いのと、大人が読むような難しい本をいつも教室の片隅でめくっていたのが少しカッコよかった。でも、クラスの中ではなんだかジメジメした薄気味悪い奴という定評を受けていた。小学校での評価を持ち越したまま、地元の中学校に行くとどういう事態になるか、を身をもって教えてくれた奴だった。僕は小学5年生の頃にコンビニの青少年雑誌コーナーで一心不乱にエロ漫画雑誌を読みふけっているところを図体のでかい坊主のいじめっ子に目撃されて以来、かるーいいじめ(「仲間内のゲーム」とも言う)にあっていたので、本当に受験しておいてよかった。

話は母方の叔父の話題まで飛んでいった。東京で売れない役者をやっている叔父は、一族の鼻つまみ者的扱いをされていた。51歳になっても彼がまだ母親(僕から見れば母方の祖母)から仕送りをもらっていることを知ったのは最近のことだった。あんた、〇〇(叔父の名前)みたいになったらいかんよ、とおふくろたちからは口酸っぱく言われた。数は少ないが、叔父がちょい役で出演している映画を僕はこっそり観て喜んだりしていたので、返答に窮してしまった。こんな時に「あんた達が俺の事で無駄に気を病むことなく『世界一周の船旅』に行けるぐらいには、しっかり身を立ててくつもりだよ」と言えたら、抜群にカッコいいだろうなあ、と思った。

夕食後、新宿へ帰るという母を丸ノ内線の改札口まで見送るまでの道のりで、おふくろに「卒業式、保護者は入れなかったんだね」と聞くと、「いやいや、観たよ?」と言う。
「え?」と聞き返すと、
「女子学生の中に紛れ込んでたら、バレなかったのよ」と斜め上な返しが来たので、思わず笑った。

おふくろを見送ってから、西武池袋線に乗って光が丘までの帰路についた。電車の中で、バカでおせっかいなぐらいに世話焼きなおふくろが泣いて喜ぶようなことを成し遂げるのと、鯰娘をデリシャスな鉄板焼き屋に自腹で連れていくことを当面の目標にしようと殊勝なことを考えてみたが、どうせ明日には忘れてるんだろうなあ、とも思った。

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