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写真を洗う

(2019年3月13日に「noteのcakes」アカウントで書いたものを転載)

 2011年夏。宮城県の石巻市で、僕は数人の仲間たちと一週間にわたってひたすら写真を洗ったことがある。言うまでもなく、東日本大震災に襲われた被災地での学生ボランティアとして。当時仲の良かった同級生たちがボランティアに行くと聞いて、何となく「見ておこう」と思って参加したのが正直なところだった。別に人助けとも思っていなかった。物資配給などを別にすれば、そもそもボランティアが被災地に寄与できることなんか、雀の涙程度だ。当時から、使命感に駆られてそういう事をするのはただの傲慢か、もしくは自己陶酔だと思っていたし、今でも思っている。だから、石巻に到着して僕らを出迎えてくれた指導員の方が、仕事を辞めて被災地に来たのだということを僕らに向かって誇らしげに話してくれた時、心底「バカだな」と思った。今でも思っている。

 そうは言っても我々はまだ育ち盛りの元気な少年で、体力がありあまっているのだから、瓦礫撤去とか、そんな類の「ぽい」ことを行うことになるのだろうと予想していた。瓦礫撤去だったら一応「役に立っている」という実感を持って毎日の作業に励むことができる。だから、そのつもりで装備を揃えていたし、実際それは実利的な仕事なのだから、多少は何か貢献できることがあるかもしれないと期待していた。

 ところが当日になって我々に渡されたのは水の入ったバケツと、小さなハケだった。そして、我々はすっかり壊れきってしまった小学校の校舎へと案内された。そこは日陰ということもあり、とても涼しかった。床には津波に流され、バクテリアが繁殖して汚れきった写真が大量に並べられていた。炎天下の中で汗だくになりながら瓦礫を運ぶことを想像していた僕は、初めの内はいささか拍子抜けしながら、ときおり潮風が吹き抜ける作業場で黙々と写真を洗った。周りにはすでに何日も前からやってきてこの「写真洗い」に励んでいる人たちがいて、彼らと時々とりとめもない話をしながら、我々はハケを使って写真を綺麗にしていった。

 作業自体はこれ以上ないほどに単純だ。写真の汚れている部分に水を染み込ませたハケをそっとあてて、淡い色付けをするように優しくなでる。そうすると、それまで表面を覆っていた雑菌がみるみるうちに取れて、後には真っ白な空白だけになる。写真達が完全に修復されることはなく、ハケで洗われたあとは大抵、虫が食ったようにところどころが空白になった状態で「作業完了」となる。そうして、洗われた写真は校舎の二階にある教室に運ばれ、床一面に敷き詰められた古新聞の上に丁寧に並べられる。その後、それらの写真がどうなるのかは知らない。ただ一週間に渡ってそんな地味な作業を延々と繰り返した。

 扱う写真は様々だった。スタジオで撮ったような家族や新郎新婦の写真があるかと思えば、子供の成長記録や風景写真のように何気ない日常を切り取ったものもある。どの写真もそこに映っている全員の姿が綺麗に残されていることは稀で、例えば家族写真ならば母親が、結婚写真なら新郎が……という具合に誰かの姿がほぼ丸ごと雑菌で塗りつぶされていたりする。その部分をハケで洗い落としても、後には空白しか残らない。4人で撮ったはずなのに3人になってしまったり、2人で撮ったはずが1人になってしまったりする。誰も残らないこともある。だから、洗われた後の写真の殆どはお世辞にも綺麗とは言い難いものだ。

 この「写真洗い」、果たして需要があるのだろうか? そんな疑問を、僕はハケを動かしながら何度となく抱いた。仮に津波でカメラやフィルムを流されてしまって、これらがもう二度と現像できない写真であったとしても、こんなに不完全な写真を欲しがる人たちがいるのだろうか。この「写真洗い」は、瓦礫の撤去作業に優先して行われるほど大事なことなのだろうか。写真ってそんなに大事か。思い出ってそんなに大切か。

 しかし、実際にこんな写真でも手元に置いておきたいと思っている人がどこかにいる。この写真に映っている人々が今も生きているのか、死んでいるのか、それは定かではない。唯一はっきりしているのは、僕が洗っている写真はこれ以上ないほどに個人的な財産なのだということだけだった。

 今回こんなまとまりのない話を思い出したのは、大熊さんがいつもカメラを携えていて、オフィスの光景とか、ランチの光景を時折カメラに収めているを思い出したのがきっかけだった。僕は写真に関しては雑誌で魚の写真を見たりするだけの素人なのだが、それでも他人の撮った写真を見るのは楽しい。だから、大学を出たらちょっといいカメラを買って自分でも撮り始めてみようかなと考えたりする。カメラを買ってしまったら、きっと風景や魚を撮るだけでは物足りなくなるだろうから、被写体になってくれる人を探そうかなとも考えている。

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