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バースプランを最初に作ったのは…

最初の子の出産のときに、受け入れてくれる医療者探しは二転三転して難航した。ようやく『やってもいいよ』と言って下さるところがあり、医療者を探すのを手伝ってくれた人も交えて打ち合わせをすることになった時に自分の望むことや望まないことを時系列で作り始めた。そしてそれを基に1回目の話し合い、その後話し合いで出たことを基に第2回目と改良版を作っていった。そして、最終稿をコピーして自分のお産にかかわってくれる人に渡した。

これが、たぶん日本で初めてのバースプランとなった。当時はバースプランという名前さえなかったが。。。

なぜ、バースプランを作ったか?

最初のお産で、自分がいつ何を望んでいるのか?何を望まないのか?

自分自身と、お産に立ち会う夫がはっきり認識するために(夫婦といえども産む側とそうでない側では違いが大なり小なりある)。そして、医療者や周りのスタッフにそれをしっかりと伝えるためにだった。

この背景には、大型コンピュータのソフトウエアの設計とプログラミングを仕事として携わっていたから、顧客のニーズを聞いてそれを基本設計で仕様書なるものを作り、それを基にプログラミングしていくというアウトプットの作業をしていたので、単にその作業と同じことをしたのだった。これは、要求を正確に把握していかないと望むアウトプットにはならない。基本設計の後プログラマーに渡してプログラミングとなる、そしてプロジェクトで分担していると誰もが同じくわかることが大事だった。

だから、このバースプランは自分にとっては当たり前のことを事前に確認して、相違があれば、それを詰めていくためのものでもあり、お産当日のアウトプットは望む状態になるための環境整備的なものでもあった。

ただし、バースプランはお産当日は産む本人には必要なく、あくまで周りにとって必要なものとなる。だって、産む本人が、「えーと、ここはこうなってこうなるから、こうなるべきだ。あれ~、おかしいな~、うまく進んでいない。。。」となっていては本末転倒なのだから。

そして、先日、その当時のバースプランの原型が見つかった。


次回は、バースプランの。。。。に続く。

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