見出し画像

私が子育て支援の道に進んだ訳

 先週11月11日より、この絵本を全国に100冊配布するためのクラウドファンディングを開始しました。児童虐待防止推進月間の11月にちなみ、1並びの11月11日から、年明け1月11日までの期間で実施しています。
 
 この1週間、これまで縁のあった人達にも色々と連絡をとったりしていたのですが、「そんな経験をしていたとは知らなかった」といった声を多くいただきました。
 また、クラウドファンディングのページにも記載した、映画「夜間もやってる保育園」をご覧になった人達は、「なんでスペイン・バルをやっていた人が、児童相談所の相談員としてコメントしているの?」という素朴な疑問を抱いたようですね。
 そのあたりについては、映画の中では何も触れられていないので、そう思われたのも、もっともかと思います。
 
 その経緯については、今回のこの絵本の話にも通じるところがあるので、ここでお伝えしようと思います。ちょっと長い話になります。
 
 私は元々、大学院で心理学を専攻し、臨床心理士の資格をとるつもりでいました。しかしながら、大学2年の時に始めた「障害者青年学級」のボランティア活動の中で、重度障害を抱えるお子さんのお母様から、「あなた達がこうして、この子を連れ出してくれるだけで、私達家族にとってはものすごくレスパイトになる。下の子とお出かけしたりする時間に充てられるので本当に助かる」という話をされ、衝撃を受けたのです。
 それは「心を支えるだけでは人は救えないのではないか。それよりも、必要なサービスを届けるだけでも助かる人達がたくさんいるのでは?」という思いでした。
 
 元々、「大学院で心理学の勉強をしたっていうだけで、果たしてこんな若造に相談したいと思うだろうか?」という気持ちもあったため、まずは社会経験を積むことが先だと思った私は、民間のシンクタンクで福祉分野の研究員として働く道を選びました。「社会の側から変革することで、道を開くこともできるのでは?」という若さ故の熱い思いも抱いていました。
 区市町村や都道府県の障害者計画、療育計画、男女共同参画、介護保険福祉計画等々の業務に携わり、怒涛のように駆け抜けた3年間。本当に忙しく、すり減った日々でもありましたが、自治体の中にも熱い思いで良い制度を作っていこうという人がいることも知れた、貴重な時代でした。
 
 が、その会社で研究部門の廃止が決まり、会社都合で3年4ヶ月でこの会社を去ることとなり……。残業につぐ残業で、心身共に疲弊していた私は、学生時代から心惹かれていたスペインに渡りました。
 現地で、フラメンコ雑誌やストレス・健康関連のWebサイト等に記事を執筆したりして、ライターとしての活動を開始し、帰国後、人々がいつでもフラッと気軽に立ち寄れる「バル」という形態を日本にも広められないかと、当時まだ日本にほとんどなかった「スペイン・バル」を開店。
 
 スペイン・バルをオープンした時の話は、以前、このnoteでも書きましたが、開店後、半年も経たずに長女を身ごもった私は、再び、第二の帰路に立たされました。
 果たして、赤ん坊を抱えて、店を続けていけるのか??? 
 
 店のお客さんをはじめ、誰もが「無理だ」と言いましたが、「とりあえず、出産前後2ヶ月位、お休みします」と言い、長女を出産しました。
 長女は非常によく寝る子で、「これなら店もできるのでは?」と思った私は、出産翌月から不定期で店の営業を再開。基本、赤ん坊を抱っこしながら料理を作ったり、接客したりしていましたが、さすがに子どもが大きくなってきたらこの状態で続けるのは無理だろうし、どこかに預けないとな……と思っていたところ、何気なく近所を散歩していた際、偶然「エイビイシイ保育園」の前に出たのです
 
 「24時間保育 エイビイシイ保育園」という看板を目にした私は、「ああ、預けるなら夜もやってるところでないとダメだよな。とりあえず、保育園の情報を集めるか」とその足で新宿区役所に保育園の情報をもらいにいきました。くだんのエイビイシイ保育園には現在空きがない、とのことでしたが、電話してみると「空きはないけど、一度、見学にいらっしゃいよ」と片野園長に言われ、すぐに見学に行きました。
 
 エイビイシイ保育園は、無認可から認可園になってまもない時期で、当時「24時間365日開所」を謳っていました。そして、確かに今、空きはないけれど、「一時保育」が1日2千円程度で月3回まで使える、と。「月3回か…」とつぶやくと、片野園長は「ま、本当は月3回までなんだけど、困ったらなんとかするけん。いつでも連れてらっしゃい!」と言ってくれたのです。
 
 これは本当にありがたかった!そうそう甘える訳にもいかないと思い、月3回の一時保育をお守りのように使って、翌年4月入園までの半年間、なんとか乗り切りましたが、今、思うと、エイビイシイ保育園との出会いがなかったら、本当にどうなっていたのかと思います。
 
 たまたま散歩中に見つけたエイビイシイ保育園が、「都内唯一の夜間開所の認可保育園」だったと知るのはその後のことで、たまたま近所に住んでいて、たまたま散歩していてこの保育園の前に出たというのは奇跡としか言いようがありません。結果、その後、次女と三女もお世話になりましたが、母親と決裂し、「親を頼れない私」にとって、エイビイシイ保育園は、まさに子育てしていく上での要でした
 
 気づけば、店をオープンして10年近い歳月が経っていました。怒涛のような日々の中、すくすくと育ってくれた娘達。でも、こうした支えを得られた私は本当に幸運だった…。世の中には、私のように親を頼れない母親が他にもたくさんいるはず。ここまで支えてもらった分、今度は私がそういった人達を支える側に回ろう。それが、40代を迎えて残りの人生について考え始めた私の結論でした。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?