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やっと陽性

2002年になり、実母のがんは寛解となった。
そして、4月中旬から5月の連休にかけて、祖母(実母の母)のお見舞いで、母は半月ほど大阪へ行っていた。
私は毎月、産婦人科へ通院したが未だに妊娠せず。
わが家の事情を知っている院長が、4月初旬の診察時に
「5月になったら本格的に不妊治療を開始しよう」
と言ってくださった。
佳哉とは別れず、なんとなくそのままの生活が続いていた。
イケちゃんとも今までと変わらずのペースで会っていたが、ホテルには行かなかった。
赤ちゃんを欲しがっている私に対しての、イケちゃんなりのケジメだったらしい。

母が大阪へ行って数日後、あまりにも身体が怠く、手先や顔だけ急に暑くなったかと思うと、寒くなるという症状が出始めた。
佳哉が会社へ行っている間に、ドラッグストアへ行き妊娠検査薬を買ってきた。
夜、佳哉を会社へ迎えに行き、アパートへ帰ってきてから試してみた。

まさかの陽性反応!
というか、よく写真を残してたな私!!

写真のとおり、まさかの陽性!!
通常は、試薬に尿をかけて5分程度待たないと結果が出ないはずが、1分もしないで陽性反応だった。
佳哉と2人で飛び上がって喜んだ。
普通なら自分の親たちに真っ先に知らせるはずなのに、1番最初に連絡したのはイケちゃんだった。
夜も遅いからということで、佳哉から電話した。
そして、稀琳が伝えたいって言うから代わると言って、私に携帯電話を渡してきた。
「俺に伝えたいことってナニ?」
「えぇ~、イケちゃんに報告があるんだよ~」

私はニマニマが止まらないまま、
「報告って、イイコト?悪いこと?」
「うぅ~ん、イイコトなのかなぁ~」
「お、センパイと別れることにしたか?」
「そうだったら、佳哉の携帯から電話するわけないじゃん!」
「じゃあ、俺との子どもができたか?」
「イヤイヤ、イケちゃんと子どもが出来ることしてないし!」
「じゃあ、ナニよ?」

イケちゃんはイタズラっ子のように笑いながら話してくれる。
「え~っとね、私・・・」
「ん? 新しい彼氏が出来たか?」
「違うよぉ~
 やっと妊娠検査薬が陽性になったの!」
「エッ、マジ!?
 俺の子どもが出来たのか?」
私も大笑いしながら
「なんでイケちゃんの子どもなのよ!?
 佳哉がパパになるんだってば!」
「やっとだったなぁ~
 センパイ、ちゃんとSEX出来たんだね~
 妊娠、おめでとう!」
3人で大笑いしながら、でも私は嬉し涙がポロポロこぼれながら20分くらい喋って、電話を切った。

翌日、産婦人科を受診し、妊娠していることを確認した。
それから大阪へ行っている母に連絡し、妊娠を伝えた。
母からは、
「やっと結婚できるね、おめでとう!
 帰ったら今後の話し合いをするから、待っててね」

と言われた。

当時、1年に1回は小児専門病院の循環器科で心臓の定期受診を継続していた。
妊娠したら受診するように言われていたため、5月の連休明けに予約を入れて受診した。
小児専門病院には、出産できる設備がないため、総合病院で経過観察をしてもらいながらの出産を薦められた。
そこで紹介状を持って、公立総合病院の循環器科と産婦人科を受診することとなった。
この病院は、卒業した高校の近くで、海空先生との思い出の場所の近くにある。
病室の目の前は海が見えるが、出産予定の12月は海の色がくすんでるなぁ~と思ってしまった。

これは2002年4月~5月初旬のエピソード。
今でも、1番最初に知らせたのが、何故イケちゃんだったのか不明のまま。
ここからハイスピードで、入籍・親族のみの結婚式、そして結婚披露パーティーと進んでいった。
私は悪阻もかなりあったが、酢飯だけはよく食べられたので、お寿司ばかりを食べていた。
よく妊娠中のナマモノはいけないと言われてますが、メッチャ食べまくっていました。

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