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官僚方士と美しき宦官の事件簿 第9話

九 再現
 私は冏と広と共に教坊の外に出ると、小走りで楽器保管庫に向かった。いつの間にか日は傾き始めていて、私達が教坊に入った時とは地面に落ちる影の形が変わっている。
 ふと、お腹が空いたなと私は思った。
 食事は朝夕二回だけ摂るのが一般的だが、頭を使うとひどく空腹感を覚えるのはどうしてだろう。一度空腹感を覚えてしまうと、どうにも気が散って仕方がなかった。頼めば簡単な食事くらい用意してもらえるだろうが、下手に食べ物を口にしてしまうと、眠くなってしまって良くない。私は途切れた集中を再び高めて、何とかやり過ごすことにした。方術を使う時と同じ要領で、何度も深く呼吸していると、その内心がすっかり落ち着いて、何も気にならなくなる。
 私がすっかり気持ちを立て直した時には、楽器保管庫はもう目の前だった。中に入る前に、周りの地面に穴が開いていないか、楽器保管庫の壁に不自然な所はないかと確認してみたが、やはり出入口になりそうな所は見付からない。由も「秘密の通路など聞いたことがない」と証言していたし、下手人も恐らく扉から出入りしたのだろう。
 となると、やはり鍵を持っている由は、どのような形にしろ、金英の死に関わっているということだろうか。
 私は、楽器保管庫の扉を守っていた宦官の一人に言った。
「すみません、ちょっと手を貸して頂きたいのですが」
 相変わらず鬼を恐れているらしい宦官は、一歩後退りしたが、すぐに観念したような面持ちになって訊いてくる。
「何をすればいいのでしょうか?」
「呼びに行くまで、茜門の辺りで待機していて下さい。何が何だかわからないでしょうけど、とにかく私達の言う通りに動いて頂ければ結構ですから」
 最もやることが少ない延年役なら、この宦官でも十分務まるだろう。
 宦官が渋々ながらも小走りで茜門に向かうのを確認すると、私は広と冏に外で待つように言い置いて、楽器保管庫の扉をくぐる。扉から差し込む日の光はささやかなものだったが、目が慣れてくればほぼ全ての物の輪郭を見て取ることができた。
 金英の亡骸は、最後に見た時のまま、静かに横たわっている。その隣には、穴の開いた柘榴があった。由も延年も「中は暗かった」と証言していたので、今回は光の術は必要ないだろう。
 私は戸口に立っている冏を振り返ると、言った。
「私が金英様の役をやるから、冏は由殿の役をお願い」
「畏まりました」
 冏がそう返事をすると、私は横たわる金英へと歩み寄り、そのすぐ側に足を伸ばして座った。金英が横たわっていた場所に意味があるなら、金英の亡骸を退かして再現するべきなのだろうが、とりあえずはそこまで拘らなくてもいいだろう。
 私は笄を外して髪を下ろすと、予め厨房から貰ってきていた柘榴を胸元に入れて、その上から笄で突き刺す。できれば襦に穴を開けたくはなかったが、これも仕事だ。
 由からも延年からも腕の状態に関する証言は得られていなかったものの、私はひとまず両手を後ろに回し、目を閉じて横になると、冏に向かって呼び掛けた。
「準備できたわ。入ってきて」
 私が目を閉じたまま、じっと冏を待っていると、冏が入って来る足音が聞こえた。足音はすぐに止まったが、少しするとまた私の方へ近付いてくる。恐らく先程の私と同じように、冏も中の暗さに目が慣れるまで足を止めていたのだろう。
 私がそう考えていると、冏が話し掛けてきた。
「あの、一つよろしいですか?」
「いいわよ。何?」
 私が目を閉じたままそう答えると、冏は言った。
「由殿は、先程『金英様の胸に刺さっていたのは笄だ』と証言していましたが、私も刺さっているのが笄だと、確認できる所まで来ました」
 私が目を開けて冏の位置を確認すると、冏は私から一歩程の距離を空けて立っていた。
「じゃあ、延年殿役のあの人を呼んで来て」
「畏まりました」
 冏が踵を返して行ってしまうと、私は再び目を閉じた。冏と延年役の宦官が戻って来るのを待っていると、さして間を置かずに、駆け足の足音が二つ聞こえてくる。それらの足音は途中から歩く時のそれに変わって、私へ向かって来た。下敷きにした腕が次第に痛みを訴え始めた頃、不意に冏の声がする。
「もう十分です。ありがとうございました」
 今の言葉は、延年役の宦官へ向けたものだろう。延年は亡骸に触れて生死を確認してはいなかったようなので、恐らくこんな風に一度ある程度金英に近付いてから、楽器保管庫を出たに違いない。
 延年役の宦官の足音が楽器保管庫を出て行くと、冏が私の側に屈み込む気配がして、問いかけが降ってきた。
「恐らく、由殿はここで金英様の目を開けさせたと思われますが、私もそうした方がよろしいですか?」
「そうね。やってみて」
 私がそう言うと、冏のざらついた手が私の両目に掛かる。女性のように綺麗な顔をしていても、やはりその手は大きくて、男性のそれだった。
 私とは、全然違う。
 そう思った途端に、心臓がどくんと大きく脈打つのを感じた。目くらい自分で開ければ良かったと思ったが、今更自分でやると言うのも少し気まずい。
 私がただ冏の手が動くのを待っていると、冏はそっと私の瞼を押し上げてから、その手を離した。私は自分を見下ろす冏を見上げたまま、できる限りいつも通りの声で訊く。
「……どう? 由殿が金英様の目を開けさせた理由、思い付いた?」
「決して合理的な理由ではありませんが、由殿は最後にもう一度だけ、金英様の瞳を見たかったのではないでしょうか?」
 冏が艶っぽい発想を口にしたことを、私は少し意外に思った。冏は他者への関心が薄そうだったので、そういったことには疎い気がしていたのだが、私より年上である分、男女の機微には通じているのかも知れない。
 私は体を起こして胸元の笄を引き抜くと、下ろした髪をいつものように纏めながら言った。
「由殿は金英様を想っていたと証言してはいたけど、今の冏の仮説はちょっと無理がある気がするのよね。いくら好きな相手でも、そんなことするかしら? 生きているか確かめるために、目を開けて瞳孔を確認することはあるけど、普通はすぐに目を閉じさせて、そのままにはしないわよね」
 死者の閉じていた目をわざわざ開けさせるというのは、どうにも不可解な行動だ。その理由を説明しようと思うと、どうしても無理が出てしまう。
 私が纏めた髪に笄を差していると、冏は言った。
「金英様が目を開けた理由だけに着目するのであれば、金英様にまだ息があり、ご自分で目を開けた可能性もあるのではありませんか?」
 その言葉を聞いた途端、今までばらばらだった謎が急に一つに繋がって、私は確信した。
「それだわ! 私達、難しく考え過ぎていたのよ! 事は、もっとずっと単純だったんだわ!」
 すっかり興奮した私がそう捲し立てると、冏はその美麗な面を困惑で彩って言う。
「あの、おっしゃる意味がわかりかねます。どういうことでしょうか?」
 そう訊き返してくる冏に、私は自信たっぷりに答えた。
「謎が解けたってことよ」

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