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3.11

13年前の今日
わたしは、岩手県の中央部に位置する地域の幼稚園にいました。
ちょうどお昼寝の時間。
10人ほどの子どもたちがホールでお昼寝をしていました。
急な揺れに驚いたものの、すぐにおさまるだろうと職員室におりました。
ところが揺れは激しくなり、ただ事ではない状況に
職員は園内様々なところからホールにあつまるも・・・
激しい揺れに 自分の体も 思いも 
子どもの近くに行けない状況を体験しました。
こわかった。
なによりも、子どものそばに行けない状況がこわかった。
激しい揺れの中で、動けない 自分が なさけなかった。

幸い、間もなく子どもたちを保護することができ
みんなけがもなく、本当にホッとしました。
園舎に大きな被害はなく、状況の確認を急ぎました。

東北一帯に甚大な被害をもたらす大地震であること
交通 ライフラインの寸断
正しい情報が伝わらない状況であること

あの 巨大な津波のことは もうしばらくしてから わかりました。

3月とはいえ、あの日は雪がちらついていました。
子どもたちを元気づけ、帰り支度をし、
保護者に状況を連絡してお迎えを待つことにしました。
園バスの中で暖を取り、すこしのおやつを食べ
だいぶ落ち着いた様子。
なるべくいつもの雰囲気を心がけ、お迎えを待ちました。
最後の子どもが保護者と帰宅したのは、
地震発生から2時間近くあとだったと思います。

13年という長い時間は経ちましたが、あの記憶は人々の心に残っています。
沿岸の皆さんのことを思うと、いまでもむねが苦しくなります。
この時期、あの日を振り返る報道が流れてきます。
振り返ると、無念のきもち や くやしさ せつなさが
伝わってきます。
それは 時間とともに消え去るものではありません。

わたしは、震災の後 被災地に行けなかった…
全国から 世界中から 被災地への支援が広がり
近くにいても 遠くから ありがたい と思うのが精いっぱいでした。
そんな自分が情けなかった…

内陸での私の体験など、沿岸地域で津波の脅威と闘いながら
子どもたちの命を守り抜いた保育者の皆さんがいたこと
忘れません。


今は、どんなことがあっても
おあずかりした大切な命をまもるための意識を
若い人たちと学んでいます。
一人の力には限界があり
思いだけでは どうにもならないことのほうが多いでしょう。
ましてや、自然の力の大きさを私たちは体験しています。
でも、出来ることは0ではない。
どんな小さなことでも
気づき 声に出し 触れ合って 
守るべきもの それは  いのちです。

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