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やさしい世界になってほしい。

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最近の記事

「嫌だ」について。女性と男性の考え方の差について考える

今日もXでは男女がお互いを見下して言い争っている。 今回は女性が言う「嫌だ」について、分かったことがあるので書いていく。 事のあらましまず、何が言い争われているのかというと 女性「男は嫌だって言ったことをやめてくれない」 男性「嫌だって言うのは感情であり理論ではない」 といった具合である。 女性の言う「嫌だ」「やめて」は本当にそれ以上でも以下でもないのだが、男性がそれで納得しないのも分からなくはない。 わかりやすい実例があったので、それを掲載する。 まず私はコレに対して

    • 選挙に消去法は存在しない

      選挙の時期になるたびに、すごく気になる言葉がある。 「消去法」 「良い人がいない」 この二つは非常に無責任な言葉だと思う。 日本は民主主義であるとしている以上、選挙は権利ではなく義務だ。 にもかかわらず、毎度この時期は選択そのものに後ろ向きな人間が多いと感じる。 まず「消去法」という言葉は発言した人間の本意でないと思う。 「政治とか訳わかんないし、難しいし、調べる気も起きないし、かと言って何かを選択した際の責任を負いたくない」 を体裁よく言い換えたのが「消去法」だと

      • 食事の断り方について考える

        ある投稿が話題になってるのを見かけた。 これを皮切りにさまざまな体験談が投稿されるのを見たので、私なりに断る方法について考えてみようと思う。 1、彼氏がいると言う 『「彼氏いる」とかいくらでも終わらせ方あるのにいつまでも予定あるとか曖昧な事言ってるからやろ でもそうやって「男たぶらかしてる私」が好きなんよなわかる!』 という心無いコメントから派生して、最初の画像とは別の方が貼ったやり取り。 これは個人的な視点の話だが、都合が悪くなると攻撃的になる人は多くいるが、露骨

        • 面白みもメッセージ性も薄い気がするフェミニスト漫画

          今年はフェミニストや性について直接的に漫画を描く人が増えたなと感じるが、漫画を長年愛してきた女性である私は少し納得がいかないので書く。 具体的にどういう漫画かという話をするために話題になった漫画を貼る。 フェミニストを自称する女性と元同級生男性が同窓会で会う話 新人の男性トラック運転手が男性の性を中心としたコミュニケーションに違和感を持つ話 障害者による性被害にあった女性がスカートを履けなくなった話 「先生の白い嘘」も含まれるが、そちらは別記事で感想を書いてるので省

        「嫌だ」について。女性と男性の考え方の差について考える

          ルッキズムとかいう全ての差別の生みの親

          「上田と女が吠える夜」という番組でルッキズムの話をするらしい。 ここの予告で 「ルッキズムとお金の関係の問題」 について話していたが、ルッキズムの本当の問題は全ての差別の根源であるところだと思う。 黒人差別は自分から見て肌が黒く「見える」から起きることだし、アジア人差別も自分から見て目が吊り目に「見える」から起きる。 肌が黒い人は肌が黒い人を見て違和感を感じないことから、結局のところ自分の視界で見えてるモノを全ての基準にしてるから差別が起こるし、それに忌避感を感じる。

          ルッキズムとかいう全ての差別の生みの親

          女性から見た男性性被害について考えたり。男女論争にゲンナリしたり。

          ある記事を巡った意見がちょっと気になったので書く。少し愚痴気味。 ストーカーの女性が逮捕されたことで、男性ストーカーが逮捕されにくいのは良くないという話をする人が多かった。 その感想には同意なのだが、そことは全く関係ない話につなげる女性が何人かいた。 中でも「男がレ○プされても命の危険に晒されないからマシ」と言う女性が凄く嫌だった。 同じ女性として、それはやめてほしい発言だった。 まず私の認識が間違ってなければ、膣より直腸の方が感染症に罹りやすい。 具体的に言うと、直

          女性から見た男性性被害について考えたり。男女論争にゲンナリしたり。

          「先生の白い嘘」という透明化された児童虐待

          映画版「先生の白い嘘」でインティマシーコーディネーターを監督が拒否した問題が話題になっている。 それについての記事を読んだ女性たちが性被害の深刻さについて声を上げていた。 私は映画を見ていないが、代わりに原作漫画を最後まで読んだ。 正直に言うと、同じ成人女性として恥の塊みたいな漫画だと思った。 この作品を応援する女性とズレを感じたので、ここに記していく。 1、男性と女性、大人と子供の差 まず、この作品を「女性を応援する作品」として認識してはいけないと思う。 なぜな

          「先生の白い嘘」という透明化された児童虐待

          新しい職場に陰謀論者がいた

          新しい職場に陰謀論者がいた。 その人は60歳近い年齢の男性。 娘がいて、離婚済みで一人暮らしらしい。 一時期東京に上京したが、地元に帰ってきたそうだ。 女性や若者に対してやたら小馬鹿にするような言い回しが目立つのは、彼が生きてきた時代を感じる。 そんな彼が話す話題は陰謀論だ。 味噌汁の中の化学調味料が体に悪いとか、今後は女子供関係なく徴兵されるとか。 話を聞いていくと、根拠がなかったりそもそも話に矛盾があったり、情報が古かったりした。 例えば「中国は下水の油を再利用

          新しい職場に陰謀論者がいた

          フェミニズムの前に男女差別の仕組みを考える

          某男性が女性の私物に体液を混入させた事件がネット上の話題になった。 そこでさまざまな意見や不満、そして暴言を言う人々を見て、6年間女子校に通っていた私が女性の人権について考えていることをここに記す。 女性差別は何故起こるか私は男尊女卑はある程度あると思うが、 「男性の知識不足」と「女性の弁論能力不足」によって、この議題は一向に進展の気配を見せないと感じる。 まず、男性は女性を卑下する意図はあまりないと思う。 男性が「女性とはそういうものである」という環境で育てば、いくら

          フェミニズムの前に男女差別の仕組みを考える

          共同親権の前に、家族愛とは何か

          共同親権が話題になっている。 親が離婚し、親を捨てる決意をした人間の気持ちをここに綴ろう。 家族は「出産選択権利」と「扶養義務」によって成り立つ契約関係である。 なぜなら、愛のない家族でも家族と定義されるからだ。 そして扶養義務は法的に定められているため、親の愛でもなく、恩でもない。義務である。 愛のない家族で子供は健康に育てないのか。 子供に愛を与えるのは家族だけではない。 同じクラスの友人からもらう優しい感情、気にかけてくれる支援者の眼差しも愛であるはずだ。 家族

          共同親権の前に、家族愛とは何か

          かつて親だった者へ

          かつて親だった者へ 清々しい気持ちである。 幼少期に「実母は死んだ」という自己暗示でストレス軽減を図っていた私は、やっと壮大な家族ごっこを終えたのだ。 娘を友人だと勘違いしていた実父。 娘を過去の清算だと錯覚した実母。 限界を感じたら死刑覚悟で殺そうと決意した13歳の私はやっとここで救われる。 親に生活を、命を、握られているのが苦痛であり悔しかった。 なにより「目立った虐待はしていない」という物的証拠のなさが学生時代の課題だった。 1人暮らしでやっと離れられると希望を

          かつて親だった者へ