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最近すこしいい感じ

というと途端にダメになる女なので、明日には「消えていなくなりたい」って言っていたら笑い飛ばしてください。

どうして今日これを書こうかと思ったかというと、うまくいったことを書きたいというよりは、「どうしていい感じだと思うのか」を記録したいと思ったからです。

いい感じって、具体的になに?

いい感じと思ったことは、大きく2つ。
①2週間前を最後に、過食をしていない
②食べすぎたりもしたけれど、詰め込む前に「もう食べなくていいかな」と思うことができた

特に②が私にとっては大きくて、なぜなら「おなかいっぱい」のラインをちゃんと感じることができたから。
と同時に、やっぱり私は自分を傷つけることで安心していたのだなと感じました。
詰め込むとき、「もうおなかいっぱい」と思っても、「まだまだ足りない、苦しくなるまで『食べなきゃ』、まだ苦しくなっていない」と思うことがあったりした。
それ以外にも、食べすぎて自然に戻してしまったり、吐けなくても指を突っ込んで苦しい思いをしたり、下剤でおなかを下しているときは、苦しさだけでなくどこか安心感を感じていた。
指を突っ込んでえづいて、頭に血が上って血管が切れるんじゃないかって思いながらも吐けなくて、ふと「こんなんじゃ足りない、もっともっと痛めつけないと」って刃物を探したことがあった。
どこか、苦しい思いをすることで許されるような感覚があったんだと思う。

これまでと変わったことはある?

じゃあ、自分を傷つけるときと、傷つけなくても済んだ時の違いって何だろうか。
そう考えてみると、自分に対するまなざしが結構変わってるなって思ったりした。

①「詰め込んでも満たされない」と考えられるようになった
②過食の原動力になる欲求をなんとなく理解してきた
③「その時の私に過食は必要だった」と思い始めてきた

もう少し細かく記録していこうと思う。

①「詰め込んでも満たされない」と考えられるようになった


私は10か月ほど心療内科に通っていて、カウンセリングを受けている。
実は12月の2週間だけ、過食克服専門のサポートも受けてみた。
そこで、「つらくなることが分かっているのに、自ら詰め込むように動いてしまう」ことの背景には、薬の依存と同じ状態がある、ということを教えてもらった。
「薬をしている人が辞めたくて公開しても、薬を打つ前は薬を打ちたくてたまらなくなって打ってしまうことと同じ」だそうだ。
また、「人間は本能的に楽をしたい生き物なので、楽な方、すなわち依存を無意識に選びたくなってしまう」とのこと。
これを聞いて、納得はしたもののしばらくは過食を繰り返してしまっていた。
でも、以降繰り返すうちに、「過食が今の私にとってメリットがあることなんだ」→「そのあと苦しくなることを知っていても、依存状態だから過食しているんだ」→「今の私は楽な方を無意識に選んでいる状態なんだ」→「でも長期的なメリットのある別な方法もあるんだ」という風に考え方が少しずつ変わってきた。
そして、「目の前の楽な道に逃げたいけど、でもそれをしたところで結局満たされないことは私は知っている」と思えるようになった。

②過食の原動力になる欲求をなんとなく理解してきた


「原動力になる欲求」って何かというと、「過食してストレスを忘れたい」、そしてなによりも「我慢せずに食べたい」だった。
カウンセリングでも克服サポートでも、過食したいときの気持ちに焦点を当てると「我慢したくない」が繰り返し出てきていた。
やっぱり痩せたい。太るのが怖い。だから無意識に食事制限をしてしまう。そしてそれが爆発して過食に走ると、また食事制限が始まる。
だから、我慢して我慢して我慢して…ちょうど1週間くらいたった時に我慢の限界がきて、過食してしまう。
そんな感じで、ここ半年は少なくとも週一で過食することが多かった。

でも、と考えてみた。
我慢ってきっと、食事以外にもしているし、我慢しないって食事以外でもできないかな?
だから、週末「我慢しないで」「自分を責めないで」好きに過ごしてみた。
例えば、「むくむからお風呂入らなきゃ。ストレッチもちゃんとして早く寝て….」っていろいろ自分を縛っていたルールをいったん忘れて、「まあいっか週末だし~!」って好きなように過ごしてみた。
そうすることで、なんとな~く、食以外で発散させる方法あるじゃん!って思えた。
だらだらするのはあまり体にもよくないし、これがいろんなことの克服につながるかはまだ実験段階だけど、ひとつ大事な経験だと思う。

あと、我慢と少し違うかもしれないけれど、「それでいいんだ」って思えるようになったことがいくつか増えた。
これもサポートでいただいた言葉なのだけど、「ダメだった時、今回の『ダメ』と次の『ダメ』は理由が違うかもしれない」という言葉。
「何度も同じことを繰り返して、どうして私はダメなんだろう…」っていつもいつも思っていたけど、ダメの理由が違ったらまあしょうがないよね。って思うことができた。
あとは、「痩せたいって思ってもいいんだ」って思えるようになった。
摂食障害を克服するためには、「痩せたい」という気持ちを手放さなきゃいけない、今はダイエットをしちゃいけない、なのに筋トレや運動をしてしまって…って、いろんなところで自分を責めていた。
たしかに、瘦せだけにすべての価値を置いて「痩せたい」って思うのは危険だと思う。
けど、「もうちょっとスタイルよくなりたいな」とか考える自分を責める必要はないんだ、持っててもいいんだ、って思えるようになった。
あとは、「摂食障害を克服するまではダイエットなんて無理。でも、筋トレとか運動は、これまでついた習慣を手放すことはもったいないから続けよう。過食が治って健康な心でダイエットをしたくなった時、また始めやすいように、体重が減らなくてもいいからせっかくだし続けよう。」って気持ちで続けていたら、それが逆に自分にとってのいい発散方法になってきている。
ちなみに、週1-2だった過食が2週間収まって、かつほぼ毎日運動している結果ですか?全然体重減りません!(大声)
まあでもいいんだ、早朝とか仕事終わりに走ることが、今の自分にとっていい生活リズムを作ってくれてるので。って思うと、あんまりストレスなく、「運動脅迫かも…」っていう罪悪感もなく続けられています。

③「その時の私に過食は必要だった」と思い始めてきた

これは①と少しつながると思う。
そして、「もう過食はいいかな」「もう過食に『頼らなくても』いいかな」と思うことが増えた。
あんなに手放したくてたまらなかった過食なのに、どこかで頼っていた部分があったんだと思う。
そこを客観視できたところが、ここ2週間大丈夫だった理由の一つだったりするんじゃないかなぁ。

とはいえ、まだまだ課題が山ほどある

それでもまだ「痩せ信仰」は残っているので、体重が全然落ちていない状態で外食とか食べ放題の誘いを受けると死ぬほど怖い。
ちなみに明日、会社の新年会で焼き肉食べ放題です。かなり。怖い。とってもナーバス。
そしてやっぱり無意識にカロリー計算とかはしてしまうし、食べる量気にするし、太りたくないし早く痩せたいし外食怖い。
あとは、これまでの経験上、しばらく大丈夫!ってなったあと急にがくん!と落ちることがある。
ついでに言うと、このがくん!が怖くて、大丈夫かな、大丈夫だよな、って自分にプレッシャーをかけてしまって自爆することも多い。
さらにさらに、私は今非常にストレスフルな状況下に置かれているので、なかなかに危うい状況です。
まあ、そうなったらそうなったで「今私は無理してるんだな~」「あ~じゃあ、どうダメだったか考えればいいか。」「やっぱり我慢してたのかな?どうやって我慢をバランスよく発散できるかな?」って考えていけばいいや、と思って、ダメな私のことを「ドンマイ!」って笑い飛ばしはすれど、「ほらダメだったじゃないか」って嘲笑はしないであげようと思います。