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My Broken-heart's Funeral③

♫あなたのことが好きなのに 私にまるで興味ない
  何度目かの失恋の準備 Yeah! yeah! yeah!♪
                 (AKB48/恋するフォーチュンクッキー)

そんな歌が流行した年の出来事。

Yさんのこと

 職場の上司に性的な魅力を感じることなど滅多にない。職場の人にそんなことをいちいち感じていたら身がもたないだろう。「好きな人がいない期間などない」と同僚の一人が言っていたがそれは大げさじゃないかと思う。惚れっぽい性格を自覚している私でさえ、常に好きな人がいるわけではないからだ。当時の私は失恋続きで色事からはめっきり遠ざかっていた。そして私の周囲で次々と起こる“職場内恋愛”に辟易していた。恋とか愛とかに興味の無いフリをしているうちに、本当に萎えて、凪いでいた。

 Yさんは私の勤める職場に新しく来た上司だった。
 私より10歳ほど年上のYさんは、昔はヤンキーだったらしい。彫りが深くて、わりあい整ったYさんの顔にはそういった面影は見当たらなかった。が、口元はいつも何かを言いたそうに尖っていた。ソムリエの資格を持っていたから、ワインのテイスティングをするうちに自然と口が形状記憶的にそうなっただけかもしれないが。妻子持ちで、一番上の子どもは高校生だ。性格がキッツイ女性が好みだそうだ(私が訊いたのではなく、本人がボソッと呟いたのが聞こえたのだ)。ちなみに私は胸の内で他人に暴言を吐くことはあるが、実際に口に出したことはない性悪だ。Yさんの好みを聞いた時、元ヤンのくせに虐められる方が好きなのか? 意気地がないのかこの人は? どうかしてるんじゃないのか? と密かに責めてみた。
 私が思う、ひとりの男性としてのYさんは、ひがみっぽくて、嫉妬深くて、皮肉で人を笑わすようなところがあった。自分の怒りを抑えることがあまり得意じゃなくて、すぐに機嫌が悪くなる(基本ネガティヴなのかな)。気性が激しいというのだろうか。親しみやすいんだけど、気難しい。
 親しみやすさと気難しさは相反するように思えるけど、昔読んだ心理学の本によると、人は親しい相手に対して、より多くの苛立ちを覚えたりするらしい。通りすがりの人とか、店の人とか、あまり親密に接することのない人には激昂することは少ない。逆に親しいからこそ怒りや苛立ちなどの内づらを見せやすいというのもあるのだ、と本には書かれてあった。心理的な距離が近いと摩擦も起きやすい。親しくなるって結構怖いことなのだな。でも相手のそういうソフトなところに触れてみたいとは思う。Yさんは私にそう思わせた人物だった。
 

 ある時Yさんは仕事の責務に押しつぶされそうになっていた。私はYさんのデスクで共用のPCを使わせてもらいたかったのだが、私の言い方が癇に障ったのか、Yさんは私を睨み「どいたらええんやろ」と席を立ちながら、その辺にまとめてあった資料を怒りをぶつけるように散らかした。うわっ、大人げないなと思った。あからさまに感情を見せられたことに私は動揺していた。同時に「助けてくれ」と心の叫びが聞こえた気がした。Yさんの不貞腐れたような態度が私のあらぬ琴線に触れ、妙にシンパシーを感じてしまった。私の悪い癖だ。裏などなくても裏を見ようとしてしまう。
 Yさんが苛立ちを露わにしたのは仕事量が多いせいもあっただろう。私がPC使わせてくれと言って作業を邪魔してしまったせいもあるだろう。はっきりと言葉にして「助けて」と言われたわけでもなく、むしろ攻撃的な態度を見せる相手をどうやって助けられるだろうか。何がこの人をそうさせているのだろうか。そういうふうに考え始めると、もうダメだ。その人の行動に隠されているかもしれない核心に触れたくなってしまう。今のYさんにさりげなく手を差し伸べる方法があるなら知りたいと思った。でも臆病な私にはほとぼりが冷めるのを時間が解決するに任せる事しかできなかった。

 Yさんに情のようなものが湧いたとしても、たとえ彼がそのことに気がついたとしても、彼が私を見る目が変わることはないだろう。
 Yさんには妻子があるし、家庭を顧みずに道を踏み外すような軽薄な行動はしないはずだ。いくら昔にやんちゃをしていたとしても。いや、やんちゃだったから尚更自分の手で築いた家庭を壊すなどできないだろう。「相手」が私でなくても。はっきり言えることは、私は他人の幸せを壊したいわけではない。決して。断じて。

 でももしYさんが守るべき家庭を持たない人であれば、私は彼に惹かれただろうか。

 私にはYさんの衝動を誘うような能力はない。動物的な部分で彼を引き付ける力を持っていないのだ。私が諦める以外の結末はない。予めわかっていたことだ。わかっていたからこそ、恋とか愛とかを避けて、遮断してきたのに.......なぜ。《ちがう》といくら打ち消してみても、もはや軌道修正できない。

 夫や父親や上司といった社会的肩書を取り払っても、私はきっとYさんに興味を示しただろう。「感情の生き物である」人間として。


*     *     *     *     *


Yさんのことを思い返していると当時の感情が蘇ってきて、書き進めるのに苦労した。今は「もっと面白おかしく書きたかったのに〜」と自分の至らなさをを嘆いている。単に私に自身がユーモアに欠ける奴だから面白くできないのでは?という疑念もあるけれど(泣)。
とにかく書き終えることができてよかった。
読んでいただき、ありがとうございます。

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