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世の中の白と黒とグレーの部分


何か物事を考える時、あるいは事実を突き止めようと思う時、人は白か黒か、明確な答えをはっきりと見つけたがる

白か黒かはっきりしないと、何も解決していないかとでもいうように、どちらかに結論づけたがる

だけど世の中の殆どの事は、白でも黒でもない、グレーの部分で埋め尽くされていると思う
白でも黒でもない、グレーの濃淡が異なるだけだと思う


Twitterでとあるツイートが炎上していた

小学校に上がる手前の6歳の女の子が、家電量販店で兄と姉(と見られる20歳前後の男女)におもちゃを買ってほしいと駄々をこねる動画だ
女の子は、「おもちゃを買って。あれもこれもほしい。とにかく買って」の一点張り
一方で女性は「防災帽子とか小学校で使う備品もたくさん買ったから、おもちゃは買わないよ」という
男性は「おもちゃも買ってあげるよ」という
女の子は、にぃに(男性)は買ってくれたのに、何でお姉ちゃんは買ってくれないの?と喚く
女性は、備品をこれだけ沢山買ったんだから、おもちゃは買わないよ。甘やかしちゃダメだ と主張する
女の子はそれでも喚いたが結局折れて、お姉さんに対して、おもちゃはいらないからやっぱり備品を買ってくださいとお願いする
たった2分程度の動画に1,000件以上の引用リツイートがついていた

意見は様々だ

そもそもなんで兄弟が買ってあげてるの?親は何してるの?
だから子供は欲しくない。わがままで嫌い
この姉の怒り方はおかしい
兄が甘やかしすぎ
などなど

それを見るだけで、うんざりした気分になった
その子の親は亡くなっていていないかもしれないのに
親はいるけど、小学校入学の準備は兄弟が買ってあげると約束していたのかもしれないのに
お姉さんが怒っているのには、つい最近同じような出来事があったからかもしれないのに
女の子は、普段からすごく我慢をしていて、それが今回爆発しただけかもしれないのに
お兄さんは、叱っているお姉さんの役割を理解した上で自分は優しくするべきだと判断しているかもしれないのに

とにかく、少し想像するだけで、この短い動画だけでは実際のところが判りきれない、様々な文脈が存在するはずだ
私たちにはわからない事情があるはずだ
発信する側にも発信する責任はあるけど、そもそも長めの尺がある動画の一部を2分程度切り抜いただけのものが拡散されただけで、人々はその一部しか見ていないはずなのに、何で我が物顔でコメントできるのか
何で決めつけるのか

勝ち組か負け組か、良い人か悪い人か、優しいか優しくないか、厳しいか厳しくないか、得か損か、二極化した評価で比べがちだけど、実際に白黒つけられることなんて殆どないと思う

数字だけで見るとそのゲームにおける勝ち、負けはあるかもしれない。だけどそんなの一握りだ

留年したから負け組?いや、そんなことはない
就活をし直して、自分の本当に行きたい道に進んだり、長年渇望していた留学に行ってみたり、自分の趣味を極めてみたり、ただただ休んでみたり
そもそも、病気が原因で留年したかもしれない。怠惰によるものだけど、その裏には他人には計り知れない事情があったかもしれない
兎に角、表面の事実だけ汲み取っても、その裏にある背景や出来事、経緯など、他人には見えていない部分が多く存在する
その上で白か黒かはっきりつけた表現でその出来事を赤の他人が評価するのは、あまりにも想像力に欠けているのではないだろうか
どんな噂話も、人の不幸話も、すぐに広まるし、どっちが悪い、どっちが正しいとかそういう評価がつくけど、そんなの全部本人にしかわからない
ある人から見たAは悪人でも、また別の立場の人から見たAは掬いの神様かもしれない
ハラスメントの加害者は被害者にもなりうる
そういう世間のグレーな部分を、グレーな部分があるという事を、念頭に入れるべきではないか

気の知れた友人と「世の中の絶対とは何だと思うか」というテーマで話し合ったことがある
結局、そこで出た解は「人は必ず死ぬこと」ということくらいで、絶対を探してもなかなか見当たらないことに気が付いた(もっとも、延命治療や医療の発達などでそもそも人が必ず死ぬ世界がずっと続くとすらも限らない)
そのくらい、世の中にある絶対って意外と少ない
「絶対に〇〇だ」なんて、誰にもわからないし、白か黒かを決めることは難しい

また、そういう意味では失敗、成功というような評価も必ずしもはっきりとつけるのは難しい
例えば私は大学受験に「失敗」し、浪人した
しかし、結果的に本当に行きたい第一志望の大学に入り、やりたい事を見つけ、浪人して一つ学年が下がったからこそ、その代の多くのかけがえのない友人と出会った
だから私にとって浪人は「失敗」ではなく、人生の財産とも言える充実した経験の入り口だったと思える
こんなふうに、どんな失敗も何かの成功やきっかけの過程であるかもしれないと思えれば、辛いことも乗り越えられる気がする

成功か失敗か、善か悪か、正しいか正しくないか、白か黒か、そういう二極化した言葉だけで物事を見るのではなく、自分なりの想像力を働かせ、グレーの部分の濃淡を自分なりに解釈し、理解していく、そんな人間になりたい


私は本日をもって入社し、社会人になる
社会に出てからつまづいたりぶつかったり悩んだりする事もあるだろう
でもその度に一つの明確な答えを決める必要はないと思うし、たとえ自分の理解を超えるような出来事があっても、持っている上っ面の言葉だけで白か黒かを決めつけず、自分なりの感性で、多面的な角度から、グレーな部分をより深く理解しようと努力し、自分なりの解釈・表現が出来る社会人になりたい


余談
私は「〇〇ちゃんって本当に良い子だね」という表現を心なしか避けるようにしている
「良い子だね」ってなんだか上から目線で善悪を判断しているみたいだし、良いか悪いかなんて自分の判断でしかないのに、なぜか言葉だけが先行して曲げられない事実の様に聞こえてしまうから
だから私は「素敵だね」という言葉を選ぶ
素敵な子、考え、振る舞い、センス、色、言葉
「素敵」という言葉は、誰も傷つけず、比べず、自分の中の考えで、答えなんてない範囲で、プラスの気持ちを伝えることが出来る魔法の言葉である気がする
それこそ、白か黒かはっきりつけないまま、全部ひっくるめて素敵と言えるから、本当に素敵な言葉だと思う

#今日から社会人

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