無駄死に

何かを成し遂げずに 自死 したひとは 無駄死にだろうか、 と 考えたりする

それは、死にたいと呟いたときに えらい ひとに
言われた 言葉である

挫折 とか 絶望 とかそういうの では なく

猛烈に来る欲情のようなもので

でも確かに絶望感は 黒い塊として 目の前に蠢いていた

死んだら 消える その絶望感は 死ぬことでしか 消せない絶望感
だから 死ぬ
そんなことが 理由に なっていくのか

何かを成し遂げる という その 「何か」とは なんなのか
何かを成し遂げなければ 死んでは いけないのか

それは原罪のような 加害者意識からくるものなのか

あるいは 唯の 生へのものすごい執着心なのか

負の感情を抱えながら 人は自死すると
勝手に妄想し
意味付けをして
人々はこう言う。
きっと
天国で楽しく暮らしてますよ

ご冥福をお祈りします

私は、「ご冥福をお祈りします」という言葉が嫌いだ。
何かを成し遂げた 有名人が死んだ時 決まって
インターネットには この言葉が滝のように流れ出て
そのまま海に放流されて
ドロドロに溶けていく

濃度が検出以下になるまで

気持ち悪い、祈ってどうなるというのか
幸せを祈っている
死んだ人に対して
幸せを祈っている 。

何かを成し遂げていない人には冥福を祈られないということなのだろうか
死と隣り合わせのこの言葉は 皆に贈られ そして
皆 冥福  みんな幸せになるんだ Happy!ってか(笑)

そういう意味で 言っていたとしたら そのお方にはすごい白い粉でもプレゼントしてあげたらいい  

東横キッズが求める メジコンの 多幸感は こういうものだ  彼女たちは 冥福を祈られたいのだ。

あぁ、そうか、無駄死に  死に 不用意に意味付けが必要なんだった そういう世界だもの
何かを成し遂げていない人間の死は 死ぬことすら 無駄だったということ 無駄も何も無い だって死んだのだから 特筆すべき点はないはずなのに。

意味というのは 生き残ったものに
勝手に与えられる 汚い称号のようなもの

死ななければ 得られたであろう 何らかの 価値

死ぬことによって 得られなくなった

果たして無駄死にか?


自死には とりわけ
意味を持たせなければならないということになる。


その価値観からの解放を、私は訴えたい。

意味があるかもしれないが 意味は知られない
確かにそこにあったかもしれないが その意味も 死とともに 無くなる それが遺書という形であっても それは 死の意味にはならない  誰かに意味づけられる 死は 死ではない 死人 を 死人Aに仕立てあげている。

なにかをたとえ、成し遂げたとしても 全ての死は
無駄死にである

言うべきなのかもしれない。

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