瞼と願いは変わるし、私はブスじゃない。

私の右目は、重い一重瞼だった。
高校生の私にとってそれは
真っ先に解決すべき最重要課題だったので、
寝ても覚めても授業中も(コラ!)
アイプチに勤しんでいた。
もちろん先生には怒られた。
左目はというと、まあまあちゃんと二重瞼。
(ぱっちりくりくりとかではないけど。)
つまり、右と左で目の形が全然違っていて、
それがどうしてもどーーーしても嫌で
"ぱっちり二重じゃなくていいから
右目を左目と同じ形にして欲しい"

神様にずっとお願いしていた。
左右の目の形が違っていたら
この世界が終わってしまうんかってくらい
毎日毎日祈り倒していた。
高校生の私に、
それ以上の願いなどなかった。
左右の目の形さえ揃えば、
自分が無敵になれる気すらしていた。
中学生の頃までは、
"テストでいい点数を取って
「あんずちゃんはやっぱり賢いね」
って言ってもらいたい"
そんなことをいつも思ってたから、
自分の右目が一重瞼だということに
振り回されることなんてなかったし、
そんなことなど、自分の容姿に関することなど、
取るに足らないことだったんだけどね。

授業中にアイプチと格闘していたときから
10年ほど経った今は、
右目も左目とほとんど同じ形になった。
二重整形は勇気が出なくてやらなかったけど、
長年続けたアイプチのおかげで
二重幅が定着したのかもしれない。
あとは、
まつげパーマを当てるようになってからは、
まつげと一緒に瞼も上がるのか
とりあえずええ感じの二重になっております。
でも、右目も二重になったいちばんの理由は、
アイプチの継続でもなく
まつげパーマの恩恵でもなく
"目を大きく見開いて生きるようになったから"
だと思っている。

高校を卒業して大学生になっても、
自分の根本的なところは変化するはずもなく、
元々スクールカーストの底辺らへんにいた私は
相変わらずのこじらせっぷりを発揮していた。
毎日必死にアイプチしてから学校に行くクセに、
結局いつもなんか下向いて歩いてたな。
(下向いて歩くならアイプチいらんやん...)
だけど私は、
大学という無邪気で騒がしい世界に
4年間揉みに揉まれながら、
自分が別にブスではないということに
段々と気がついていった。
美人とは言えないまでも、
ブスではないということ。
左右の目の形が違う私に対して
性的魅力を感じる男性が
この世にたしかに存在しているということ。
そのことは私にとって希望だった。
大袈裟だと言われてもいい、
私にとっては何よりもの希望だった。
その希望のおかげで私は、
顔を上げて、
左右の目の形を気にせず大きく目を見開いて、
堂々と歩けるようになっていった。
何よりもの願いが、いつの間にか、
取るに足らないことになっていった。

しっかりと目を見開いて生きるようになって、
私の右目は
ますます二重瞼になっていったように思う。
今ではもう、
誰も私の右目を一重瞼だとは言わないし、
自分が元々一重瞼に悩んでいたことを
うっかり忘れてしまうくらい。
でもだからといって、
悩みがなくなったわけではなく。
10年前に必死に祈り倒していたことは
いつの間にか叶ったけれど、
今は今で別のことを祈っている。
だから、私の根本的なところは
いつまでも変わらないけれど、
願いだけは変わっていくんだなって思う。
何も願わずに生きられたら
それが一番いいのだろうけど、
私にそれはきっと出来っこない。
私にはそれが出来ないということが、
私の変わらない部分。
だから、
出来ないことを無理に自分に課して
辛くなるよりは、
自分に足りない何かを今日も願いながら
人生を続けていくことを
私は選ぼうと思うのです。




_____10年前の私へ
今ではすっかり右目も二重瞼になりました。
今でもしっかり悩みごとはあるんですが、
目を見開いて生きていると、
自分の生きる世界がとてつもなく綺麗に見えるし
そのことに確かな喜びを感じます。
左右の目の形が違っても、世界は終わりません。
そして貴女は、ブスではありません。
こじらせててもいいし
スクールカーストに囚われててもいいけど、
そのことだけは絶対絶対覚えてて!!!

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