失われた時を求めたすぎる、夏の終わりのファンタジー

少し自分の話をさせてください。

約1年前から「ちょっといろいろ無理っす」が始まっていて、特に今年に入ってからははっきりいってもう頑張れない状態がずっと続いていました。

そう書くと、「いわゆるメンタルのことか」と思われる人も多いでしょう。まあメンタルもそうなんですけど、それより私を取り巻く状況について、さすがに頑張れない、と感じることがことがたくさん起こりました。

あまり詳しく書けませんが、自転車の盗難、望まぬ人からのつきまといや攻撃的な言葉、ギャラの踏み倒し(もちろん踏み倒されるほう)、中耳炎で耳が聞こえなくなる、などなど。次から次へと起こるそれらに対応することに時間も精神力もとられ、何ならお金もかかってしまい、もうくったくたになりました。こんな連続ってあるんですね。

例えばこれが友達の身に起きて、その友達が「よくないことが続くのは自分が悪いのかな…」とか言ったら「そんなわけないでしょ!」全力で否定するのですが、自分に当てはめると「全部自分が悪いのでは」という気持ちが払しょくできません。

「あの時もっとこうしていたら」「自転車のカギはやっぱりロープ型のでぐるぐる巻きにしておくべきだったよね」「口約束ではなく契約書を結んでおくべきだった」「軽い風邪を放置していなければ」などなどなど。すっかり打ちのめされました。よくないとわかっていながら自分を責め、「自分が悪い」という自分のつくった呪いで自分を苦しめました。

とはいえ、中島みゆき大先生も「そうね日々の暮らしは心とは別にゆく泣きすぎて血を吐いて喉でそれでも水を飲む」(御機嫌如何)と歌っているように、もちろんそんなめくるめくトラブルの中でも、仕事も生活もしなければなりません。なんとか日常を必死でこなしました。いや、こなせないこともありましたが。仕事の量も効率も微妙、頭の中はずっと嫌なことばかり駆けまわりながらも、何食わぬ顔、いや顔だけはナチュラルボーンスマイルで目の前のことをこなすゾンビのようになりました。特に仕事は母校の学生さんにアルバイトをしてもらっていて本当に助かりました。

あと、ただでさえSNSなどで自分を主語にする発信は苦手であまりやっていなかったのですが、それが加速して「できなく」なりました(今までは苦手だし忙しさや面倒くささを理由に「やらなかった」)。自分の投稿や振る舞いを監視されていることを考えてしまい、何にも言えなくなってしまったのです。あまりの発信の少なさからこの会社潰れたのかとか思われると困るのですが、そんなこと構っていられないくらいSNSを開くことすらも苦痛になりました。ちなみに「監視されているかも」という恐怖は今でもあります。たまーに勇気を出してどうでもいい内容の投稿をしてみましたが、それすらぐったりして続かず。

もう本当に人としても会社としても最悪な状態で、常にびくびくしているし嫌なことがこびりついているしで、はっきりいって何もできないし頑張れない状態になりました。反応が怖くて連絡ができなくなってしまった人もいます。一時は外出にも相当な勇気がいりました。ご迷惑をおかけした方々、本当に申し訳ございません。。

一次的にもう大丈夫かなと思った時期もあったのですが、やっぱり無理でした。
もうこれ以上頑張れない。意識的にも無意識的にも頑張るのを、やめてしまいました。勝手に時間を止めました。

列挙した嫌ないろいろはほぼ収束したのですが、それでもびくびくする気持ちは今でもまだ消えません。また何か起こるのではないか、何をやってもうまくいかないのではないか、そういう不安は今でも消えません。

でもその気持ちや不安とは裏腹に、この「そんな自分」にもう耐えられなくなってきました。

なぜなら本来私はやりたい企画や仕事がたくさんあって、そのアイデアを実行したり行動に移したりすることが楽しい人からです。それがこんな状況で、できなくなっている。
あと、この頑張れない時間に私はいつになく本をたくさん読んでいて、本が支えになったのはいうまでもありませんが「本をつくりたい」という気持ちは枯れませんでした。でもそれもこんな状況が続けば、できなくなってしまう――?

「〇〇ができない」というのがすごく嫌になってきたのです。確実に自分のできないことが増えていて、このままではいよいよいろいろダメになってしまいそう。自分自身もだし、人間関係もだし、せっかく立ち上げた大切な会社アプレミディもそう。よくないことが続いたことがきっかけで、自分自身で今あるすべてをダメにしてしまうのでは。そう、ダメにするのは「よくないこと」自体ではなく自分自身なんだろう。

あ、それは嫌すぎるかも。かもじゃない嫌すぎる。

自分が変わらなければたぶん、よくないことはたぶん続く。よくないことが続かないように自分自身の動きや時間を止めていたけれどそれは違う。

と目が覚めたのがついこの間。それはもう8月の終わりでした。

自分で時間を止めていたので、やりたかったことが全然できていません(当たり前だ)。
失われた時を求めたすぎる。でもそれを解決するのも自分しかいないのですよね。

というわけでやっと動きます。
「〇〇ができない」とかもう嫌です。できなくてもやりたいしやります。不安や恐怖があってもやります。
止めてしまった時間を動かし、いまさらおせーよ何なんだよふざけんなよと怒られるかもしれませんがしかるべき方々に連絡をします(思い当る節のある方々、少々お待ちいただければと)。

とにかく自分で自分に「できない」という呪いをこれ以上かけたら死ぬからかけない。
まずはそこからです。

以上、私的なことでした。
でもどうしても自分の中だけにとどめておくのも煮詰まりすぎたし、自戒を込めて発してみようと思いました。

だから何?って感じかもしれないし、ポンコツな出版社だなあと思われるかもしれませんが、どう思われるとかそんなんじゃない。たまには本音を話してみようと思った次第です。

最後までお読みいただきありがとうございました。
このポンコツからアプレミディはどう化けていくのか?皆様温かく見守ってください。

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