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注意書き

注意書き

 日用品を買うために、ふらりと近所の大型総合スーパーへと立ち寄った。体を洗う石鹸を切らしてしまっていたのだ。入口を入ってすぐのエスカレーターで二階へと向かい、目当ての品を探す。道中、こちらへ面を向け規則正しく並んでいる洗濯洗剤や掃除用具などと目を合わせながら、お前は足りている、そういえばお前はそろそろ無くなりそうだ、ついでに買って行くか・・・などと頭の中でぶつぶつと唱えていた。
 ふと、とあるシャンプーと目が合った。普段使っているものに比べて少々値が張るので、今まで見向きもしなかったものだ。俺はいつも値札を見て買い物をするので、そのパッケージを注視することはほとんどなかった。しかしその日は妙に気になってしまった。
 なんとなく足を止め、そろそろと近づいてみる。最初はただの空色のボトルかと思ったが、近づくにつれそれが白と青のボーダー模様であることに気がついた。もっと近づくと、白の線の間に規則正しく、うっすら青色が挟まっており、ボーダーではなくドットであることが分かってきた。手に取り、すっかり視力の落ちた両目に近づけると、その水玉は一つ一つ形が異なる奇妙な図形であることが分かった。何故か、これは面白いものである予感がした。
 家にはまだ使いかけがあるものの、好奇心に負けて買い物かごに放り込んだ。俺は一度何かが気になるとそれについて徹底的に調べないと気が済まない質なのだ。目当ての固形石鹸もかごに入れ、レジで精算を済ませると、シャンプーのデザインを精査するために近くの喫茶店へ駆け込んだ。
 コーヒーとピザトーストのセットを注文し、早速買い物袋からシャンプーを取り出す。店内のテレビでは人気ワイドショーが流れているがそんなものお構いなしに、最近作った眼鏡をかけてシャンプーボトルをレンズにつけるように覗き込んだ。
 だんだん焦点が合ってくる。最初は空色にしか見えなかったものが徐々に白線と青線のボーダー柄となり、やがて不規則な形の白いドットが浮かびあがる。そしてとうとう、俺はその白い形が持つ意味を理解できるようになった。
 「注意。これは飲み物ではありません。絶対に口に運ばないように。とくに小さなお子様がいらっしゃるご家庭では、お子様の手の届かないところで保管してください。ここでいう『小さなお子様』とは、小学校未就学、具体的には日本の年齢の数え方で、七歳未満のお子様を想定しております。誕生した日から、丸七年を経過していない、という意味です。また、保管については直射日光の当たらない、涼しい場所、気温は二十五、六度程度を保持できるようなところで行ってください。手の届かない、というのは文字通りお子様が手を伸ばしても手を付けられない少し高いところをイメージしていただくと良いかと思います。もし、万が一飲み込んで、口内から胃まで液体がいきわたってしまった場合は、すぐ、このときのすぐ、というのは飲み込んでしまったことに気付いてから三秒を経過しない時点のことですが、とにかく大急ぎで口内を清潔な水で洗浄※①し、胃に落ちてしまった分はできる限り吐き出し、大量の飲用水を飲んでください。また同時に病院への連絡を忘れずに。病院は専門に関わらず、普段かかりつけている医院へご相談ください。その先は医師の判断により、かかりつけを受診するか、紹介状を入手し他の病院へかかるか、指示を仰いてください。なお、この文脈での『医院』と『病院』は同じ意味で使用しております。同じ文章の中に同じ漢字が頻出すると文章としてあまりにも味気ないため、演出としてあえて書き方を変えた次第です。もしこのことにより、要らぬ混乱を招いてしまった場合は大変申し訳ございません。注釈※①清潔な水、とは・・・」
 気が付けばテーブルの上にはもう湯気の立たなくなったコーヒーと、冷めてチーズの固まったピザトーストが置かれていた。俺は旨い軽食の最高の状態を犠牲にしてまで、こんなに冗長な、くだらない注意書を読んでしまっていた。俺はすっかりあきれてしまって、しばらくの間はコーヒーにもピザトーストにも、手を付ける気にならなかった。このご時世ではここまで細かい事柄にも気を配り、びっしりと注意書を書き込まなければならないのか。                                                       保管場所についてはまだ理解できたが、いちいち言葉の定義まで記載されている。しかも『幼いお子様』だの『すぐ』だの、特に定義しなおさなくてもいいような語句にまで説明書きがついている。極めつけは『清潔な水で洗浄※①』という注釈だ。ここまで来たら説明なしに理解できないほうに問題があるのではないか。病院についても、医者へ連絡したあとのことまで説明するのはこのシャンプーを作った会社の責任範囲ではない気がする。しかもご丁寧に文章の演出についてまで説明し、誰からも叱責されないうちに謝罪までする始末。たかが注意書きにここまで謝られてしまったら、世間の小説家たちは新作を発表するたびに謝罪会見を開かなくてはならなくなる。そもそも、『これは飲み物ではありません。』なんて書いてあるが、このボトルの形状、液体の香り、粘度を見ればこれが飲用ではないことくらい誰にでも分かるのではないか。そう思いながら裏側を検めると、今度は青地の上にでかでかと、何かを飲む影の形に赤い斜線の引かれた丸いピクトグラムが描かれていた。
    なぜこんなことまでする必要があるのか。ここまでしないとシャンプーを飲みだす奴らが本当にいるのだろうか。奴らは見た目や香りから、これが飲み物ではないことを想像できないのだろうか。奴らには正常な脳が備わってないのだろうか。
 まだ手付かずのコーヒーとピザトーストはすっかり温度を失ってしまった。絶望にも似た感情を持て余す俺の脇を、ワイドショーのコメンテーターの言葉がすり抜け、床に転がっていった。
 「・・・やはりこういった分野は女性のほうが・・・ええと、ここでいう『女性』、というのは身体的特徴から判断できる生物学的な観点からの『女性』ではなく、ジェンダー的観点からの『女性』を意味しておりまして、ええ、もちろん、性自認が女性である方も含まれます。また、性自認が完全に女性ではなくても、自身の中に多少なりとも女性性を認める方も、対象の範囲内となりまして・・・」

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