見出し画像

日記、または外出の記録 五月十七日

久々に明るいうちに外へ出た。明日から向こう一週間は雨続きと聞いたためだ。今日は海を見に行った。

海と言っても砂浜の広がるようなビーチではない。人の手により作られたあまりにも無機質な埋立地は日本屈指のオープン・ポートであり、荷役機器や港湾倉庫が立ち並ぶ。岸壁で貨物の積み下ろしを待つ巨大な船のほか、海上保安庁や警察の警備船が行き交い、広大な交差点を思わせる。来た道を振り返れば高層ビルが青空を占拠しているので、ぐるりと一周見渡すとコンクリートの塊だらけである。まるでミニチュア模型の人形になった気分だ。とうの昔に水平線が消滅したこの街を歩いていると、トゥルーマン・ショーの主人公になった気がした。

私を取り囲む人工物の中でもひときわ背の高い、風力発電用のプロペラがゆっくり回転するのをただ見つめていた。ふと風の香りが自分に馴染みのないものだと気が付く。ほのかに潮が香っているのだ。海辺の街に越してきたのだと、改めて思い返す。

私は関東平野の北東の端の田舎で生まれ育った。近所で最も高い建物と言えば団地のはずれにそびえる貯水棟で、大きい山もなければ立派な建物もない。町のどこにいても見晴らしが良く、空はずっと広かった。夜は暗く、星がはっきりと見えた。中学校の冬休みの課題のため、寒空の下、毎晩オリオン座の行方を追った。高校に通う通学路はただ一面に広がる田んぼに挟まれた畦道で、今日のような良く晴れた日には、植えたばかりの若い苗の遠く向こうに富士山が見えた。こんなところから見ても堂々と佇む富士山を横目に自転車を漕ぐあの時間が今でも愛おしい。特にさえぎるものが無いせいか、冬は隣県の山々からの吹きおろしが厳しく、時々風に煽られて田んぼに落ちる学生がいたほどだ。

その風は吸い込むたびに鼻の奥が痛むほど、乾いていた。

適当な場所に日陰を見つけ、暫し休憩を取る。水面に光が反射して絶えず揺らめき、動いている。ここ数年、水面の煌めきを比喩する表現を探し続けているが、なかなかしっくりくるものが思いつかない。今日は「銀色の魚の群れが水面ぎりぎりを絶えず泳ぎ続けているようだ。」という言葉が浮かんだが、たいして面白くもないのでまた改めることにした。

街は確実に夏へと歩みを進めている。風景が鮮やかな緑一色へ変化しつつある中で、強い日差しと向き合う花々を写真に撮りつつ、帰路についた。

画像1

画像2

画像3

春の花はもうすぼみ始めている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?