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第1回東京中野物語文学賞発!「人の心に棲みつく魚が見える」高校生の成長を描いたラブストーリーに作家のエージェントが惚れ込んだわけ

 東京中野物語文学賞から生まれた初めての書籍『水槽世界』(文月蒼/飛鳥新社)。次回の応募も始まり、今後の注目が期待される同賞の最終選考委員をつとめ、文月さんのエージェントでもある弊社代表・鬼塚忠が、選考の経緯と作品への思いについて綴ります。

ライト文芸の新レーベル第1作として文学賞から出版

 文月 蒼(ふみづき あおい)さんのデビュー作『水槽世界』が4月23日に飛鳥新社より出版された。本作は東京中野物語2022文学賞の最終選考作品から書籍化。飛鳥新社が新しく立ち上げたライト文芸の新レーベル「with stories」第1作として文月さんのデビュー作となった。
 私は同文学賞の最終選考委員として『水槽世界』を推していた。結果、残念ながら受賞は逃したものの「この『水槽世界』という作品を、どうにかして世に出さなくてはいけない。この美しい魚群が主役にも思えるような世界観は、プロの作家であってもなかなか出せるものではない。独自性に満ちている」そう思って、売り込む出版社の編集者の顔を数人思い浮かべた。「きっとA社のB氏もC社のD氏も興味を持ってくれるだろう」と考えていた。

中野区から新たなコンテンツ発信を目指して作られた文学賞

 2023年1月、第一回東京中野物語2022文学賞の最終選考に残った8作品が、実行委員から送られてきた。これは、中野区の有志たちが、東京でも若者文化に定評のある中野区から新たなコンテンツを発信しようという夢のもと創設した新しい文学賞だ。コンセプトは、「中野らしいコンテンツ」というもの。審査員は総勢4名。『小さいおうち』で直木賞を受賞した作家の中島京子先生、中野区在住のタレント、「しょこたん」こと中川翔子さん。そして、映画監督の篠原哲雄氏と、私だ。
 他の3名に比べれば、鬼塚の著名さが落ちるのではないかと言われそうだ。私も小説を9冊出版し、小説家と名乗れないことはないものの、小説家として呼ばれた訳ではない。私には重要な役割があった。それは、いい小説を選ぶことだけでなく、いい小説があればそれをプロデュースすることだ。
 私は普段、作家のエージェント会社を経営している。200名ほどの契約作家の企画や原稿を出版社に売り込み、さらに映像化や海外翻訳など作品を広げていく仕事だ。私の使命は、この東京中野物語2022文学賞に応募された良い作品を、出版社に売り込み、出版までプロデュースするということだった。出版社が主催または共催して、受賞作は自動的にその出版社から刊行されるという文学賞はあるが、それは裏を返すと出版の可能性を限定することになる。そのためこの文学賞では、いい作品をどの出版社からでも出せるように、私と私の会社が、その売り込みと交渉役をつとめることになった。

選考委員会では推されなかった作品

 そして、選考会当日。大きな文学賞では選考会場は料亭などだが、もちろん予算も足りないので、中野区の公共施設の会議室での開催となった。4人が最終選考の8作品を読み、それぞれの講評を持ち寄って議論は行われた。作家、タレント、映画監督とそれぞれが違う立場で話したので、いい具合に議論は交錯したと思う。
 結果、『水槽世界』ではない作品が大賞に選ばれた。その作品は、いわゆるヒューマンドラマで、私もそれに対してまったく異論はない。なぜなら私も『水槽世界』とこの作品を推していたのだから。ただ、『水槽世界』を強く推したのが、私一人だったのは少し悲しかった。ひとり帰り際、やはりこの作品をこのまま眠らせておくのはもったいないと、冒頭に書いたことを思ったのだ。

『水槽世界』の世界観

 この作品では、「人の心に棲みつく魚が、顔の周りに回遊して見える」という能力を生まれ持つ内向的な主人公・橘海人が、ヒロインである同じクラスの桜庭澄歌と仲良くなり、二人は急接近していくことになる。
 読んでいくと、人の顔の周りを泳ぎ回る魚の種類と数がその人の人間性を表しているということはわかる。だが、その人が素晴らしいから、それに見合った魚群が顔の周りを泳ぎ回るのか、もしくは、その魚群が顔の周りを泳ぐから、それに見合った人物になるのかはわからないまま話は進み、やがて人の魚を片っ端から食べ回る巨大なクジラが出現する。
 冒頭から、頭の中で空想しやすい物語だったものが、クジラが出てくることで、頭の中に一挙に巨大な映画館並みの映像空間が出来上がる。
「桜庭さんの魚群がいつ食べられてしまうかわからない」(本文より)と心配しながらも健気にクジラに立ち向かっていく主人公。この世界感が新鮮で、たまらなくいい。
 また、この作品には、出てくる魚の数が半端なく多い。クマノミ、ナポレオンフィッシュ、イワシ、エンゼルフィッシュ、アカネハナゴイなどなど。知らない魚も出てくるので、ついつい画像検索をして、「なるほどこういう魚か」と合点しては作品にまた入り込んだ。

著者の文月蒼さんはどんな人なのか

 読後、「そんな作品を、どんな境遇の人が書いたのか?」という興味が湧いてきた。
 作者は、20代後半の女性で、北海道の人口15万人ほどの漁業人口の多い街に、働きながら住んでいた。つまり、いつも海を観ながら生活をしていたのだった。こうした生活環境だったからこそ、彼女は、徹底して数多くの魚を登場させる自由な世界観を持つことができたのだろう。そして、雪の降る北海道だからこそ、空の様子を気にすることが日常なのだろう。関東以南では、空をそこまで意識することはない。
 よくある、都会に住み、週末は小説教室にも通うような作家の卵とは真逆の境遇と言える。そう思うと、この作品は、彼女の人生そのものに根付いて生まれてきたものだった。

出版が決まるまで

さて、「この作品を世に出すべき」と確信しながら、この原稿を抱え、私のみならず、社員までも出版社へ営業に駆け回ったが、実はなかなか受け入れてもらえなかった。大型の文学賞を受賞したものでないと、なかなか小説家のデビューは厳しいという現実に直面した。
 しかし、飛鳥新社のU氏が、新しいライトノベルのレーベルを立ち上げるので「新しい才能はむしろ歓迎されるべきです」と言ってくれた。そこでこの水槽世界を読んでもらい、この世界観の素晴らしさに共感してもらった。そうして、出版まで漕ぎ着けることができたのだった。
 北海道の小さな港町に住む、20代女性の、創造性溢れる世界観に満ちた物語を世に出せたことに心から満足している。この小説を読めば、そんな彼女が生み出した、壮大な世界観に浸ることができる。そしてしばらくの間、心の中に余韻が残るだろう。

 文学賞は「東京中野文学賞」と名称を変えて今年も作品募集が始まっている。第2第3のデビュー作品がここから生まれるのを心待ちにしている。

執筆:鬼塚忠(作家のエージェント)
作家のエージェント会社、株式会社アップルシード・エージェンシー代表。
2001年の創業以来、1,300冊以上のビジネス・実用書から文芸書籍まで幅広いジャンルの書籍をプロデュースし、200名以上の作家のデビューを手掛ける。
また、著書にベストセラーの『Little DJ小さな恋の物語』(ポプラ社)をはじめとして、『海峡を渡るバイオリン』(共著)『カルテット!』『恋文讃歌』(すべて河出書房新社)など、数々のヒット作がある。『花戦さ』(KADOKAWA)は映画化され、第41回日本アカデミー賞優秀作品賞などを受賞し話題になった。過去の偉人が現代に蘇る講義形式の劇団「もしも」を主宰するなど、エンターテインメント業界で幅広く活躍している。

第1回 東京中野物語文学賞公式サイト

第2回 東京中野文学賞公式サイト


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