新卒1年3ヶ月で退職した話
1.はじめに
概要
今の職場を7月いっぱいで辞めることにしました。
2023年の4月に入社したので、1年と3ヶ月を弊社に捧げたことになります。
このまま終わらせるのも虚しいので、記事にしてみることにしました。
今年の4月あたりからストレスで胸の痛みと頭痛の症状が出始め、日に日に酷さが増してきました。
直感でこのまま働き続けると危険だと察知したので、後先も考えずに辞めてしまいました。
休職という手もあったとは思いますが、復職した際に嫌味を言われないか、自分の居場所はあるのか、復職したとしてもまた同じ状況になるのではないか、という不安から退職を決意しました。
退職願を提出したあたりから周りの態度が急変し、あと数週間で有給消化に入るのですが無事に逃げ切れるか、といった次第です。
弊社は若手がほとんど居ない状態で、入ってきても数年で辞めてしまうとのこと。
私の同期は6人ほどで、そのうち自分を含めて3人辞めています。
現在は特に仕事を振られずやることがない状態なので、挨拶回りや自分のPC内、デスク周りの整理などを行っております。
他には、パソコン関係でわからないこと等がないか社員の方に尋ねて時間を潰しています。
就職活動
これは今もそうですが、大学生だった当時は将来に不安を感じていて、自分は社会の役に立てる人間なのだろうか、と常に思っていました。
また、特にやりたいこともなかったので適当に大学の就職説明会に参加したり、求人サイトで良さそうだと思った企業の説明会を受けたりするなど、不安を取り除く為にとりあえず行動をしているといった感じでした。
企業の説明会を受けて何を感じたか、どう思ったか、また実際に面接をしてみてどうだったか等をノートに書き記したり、大学の先輩に体験談を訊いてみる等、それなりに就職活動に対して取り組もうと努力はしていました。
最初の頃はデザイン・クリエイティブ系をメインに応募していましたが、やはり美術大学やデザイン専門学校を卒業していないといけないのか、はたまた自分には能力が無いのか、書類の時点で全て落とされました。
気分転換にアニメーション会社等も応募してみましたが、同様の結果でした。
このあたりで自信を失ってしまい、それまで続けていた絵を描くという行為も出来なくなってしまいました。
「未経験でも歓迎」とは謳っているが、結局のところ応募母数を増やすための言葉なのではないかと思い始めました。
少し路線を変更して、印刷会社にも応募し一次面接までは進みましたが、やはりそこまでが限界でした。
他にも事務員+デザインなどの会社にも応募しましたが、結果は同じでした。
人と会話するのが苦手な自分が面接を通過することは不可能なのではないかと、このあたりで考え始めました。
大学3年生の夏にはインターンシップにも参加しましたが、周りの人とコミュニケーションが取れず、グループワークの際は一言も発することはありませんでした。
終わったあとは自分を責め続けてしまい、数日間寝込んでいました。
元々人見知りが激しく、また自分というものを持っていないので、意見を出したりするということが出来ませんでした。
デザイン・クリエイティブ系、それに関連する職に就くことを諦めて、パソコンが得意という長所を使って事務職をメインに応募することにしました。
このあたりからは書類を通過することが増え始め、面接を受ける回数が増えました。
面接の前後では必ず嘔吐してしまうため、面接を1回受けるのも大変でした。
ゼミナールの教授とキャリアサポートセンターの人からは定期的に電話が掛かってきて、就職活動の近況報告をしないといけないため自分にとっては精神的に負担の掛かる毎日でした。
最終面接まで進んだけれど落とされて、不採用の封筒が届いたときにはぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に投げ捨てたこともありました。
手書きで何度も履歴書を書くことにも嫌気が差し、全て破り捨てて書い直すこともありました。
コロナ禍でマスク着用が義務付けられていたから良かったけれど、もしマスクを着用していなければ顔面痙攣で面接を受けることが困難だったかもしれないと考えると、タイミングは良かったのかも知れないと思いました。
皆、同じスーツ姿で同じ見た目でテンプレートな受け答えしかしていない光景がどうも自分にとって気持ちが悪くて、とても怖かった記憶があります。
このあたりで完全に心が折れてしまい、現実逃避にその時放送していたアニメの同人誌を作成して無駄に2ヶ月を消費させました。
同人誌については勿論一冊も売れませんでした。
親からは就職ではなく専門学校への進学を勧められましたが、あまり乗り気になれず渋々就職活動を再開させました。
就職活動の合間にデザイン系やイラストの専門学校を調べて資料請求をしたり説明会に参加してみたりもしましたが、卒業前にはまた今と同じ状況になっているのではないかという不安、また自信を喪失しているのもあって踏み出せませんでした。
企業の面接時にイラストをお見せしたときは褒められ、面接後には「他のイラストを見せてほしい」とメールが来ることもありました。
しかし、結局はその会社からは内定を貰うことはなく、イラストに関しての返信はありませんでした。
自分の送ったイラストはどうなったのかもわかりません。
結局、大学4年生の2月まで内定が1つも無い状態でしたが、ようやくそこで内定を貰うことが出来ました。
この時は「終わった」「良かった」という安堵よりも「この世になんとか自分を繋ぎ止められた」という思いが強かったです。
2.退職理由
将来性が無い
私の部署ではその人にしか出来ない仕事が存在します。
属人化、所謂ブラックボックス化という現象が起きています。
SE職にとって仕方のないことなのかも知れませんが、やはり長期的に考えると不安が残ります。
その方は高齢の方であるため、もし急に何かあったらどうするのだろう、という不安が常にありました。
手順等を訊いてみたりもしましたが本人は引き継ぐ意志は無い為、特に回答は返ってこない状態です。
何か問題があっても、何も言わずにプログラムの修正をしているということが多々あります。
また、弊社は年齢層に偏りがあり、若者がすぐに辞めていっている状況なのでそのうち潰れるのではないかという不安もありました。
やりがいが無い
1年が経過した今も社内ニートです。
上司に「何か仕事ありますか」と定期的に伺ってみても、有耶無耶になって毎回終わってしまうといった感じでした。
また「これ以上教えられる仕事はない」とも言われました。
このあたりで「私には能力が無いから仕事を振ってもらえないのだろうか」と思うようになりました。
パソコン関係でわからないことがないか定期的に回って訊いてみたりもしていますが、それにも限界があるので結局状況は好転しませんでした。
こういった場合にどう対処すれば良いのか、辞めた今もわからないままです。
最初の頃は資格の勉強をしていましたが、取得し終えるとやることが無く、バッチファイルの作成やVBAの勉強等をして業務効率化を図ったりなどをしていました。
それについては以下の記事で詳しく記載しています。
「このツールが問題無く動作して完成したら辞めよう」と決めていたので問題ありませんでしたが、ツールを完成し終えてしまうと、やはりいつも通りやることない日々がやってきて状況は良くなりませんでした。
寧ろ効率化が図れたことにより、更に暇になってしまいました。
やることが無く、生きているのか死んでいるのかわからない。
無駄に時間を費やす毎日。
「やることなくて給料が貰えるなんて幸せじゃないか」といった意見もよく見かけますが、やることが無いというのも辛いです。
仕事が無い、つまりスキルも何も獲得する機会が無いまま過ごすということで、このままここで働き続けたら何も出来ない人間になってしまうという危機感がありました。
労働環境
残業や休日出勤は当番制となっており、3人で回しているという状態です。
面接時には残業があることは聞いていて把握していたのですが、休日出勤については聞いていませんでした。
また、休日出勤の際は朝の7時までに会社に着かなければならないことを休日出勤の前日に聞かされた時は呆然としてしまいました。
金曜日に夜10時過ぎまで残業して、土日朝5時起き→夜8時過ぎまで仕事、のプロセスがとてつもなく辛かったです。
「月曜日は休んではいけない」という暗黙の了解があるのでどうしても休みを取りづらく、12連勤をしたこともありました。
弊社の残業は「定時までに業務を終えられなかった」ではなく「支店の業務が完了するまでサーバーを監視する」なので、能力の有無に関わらず何時に終わるかもわからない状態で待機しなければならないのが苦痛でした。
休日は気絶したように眠ってしまい、気が付いたときには休みが終わっているということを毎週していました。
モチベーションの低下
今年の4月から2年目に入って、何か新たな業務を任されるかと期待していたのですが、会議やミーティングが増えただけでした。
また、会議に関してもやっている感を出しているだけであったり、他人の意見に対して否定から入ったり、必要性を感じない会議ばかりでした。
上の人がパソコンの知識に疎いため、システムに関して積極的に意見や改善案を出しても否定されるばかりで、あまり正当な評価も貰えていません。
ミーティングに関しても情報共有だけであったりと、週一間隔で数十分掛けて行う必要があるのだろうかと思いました。
また、上司は勤務中にソファに横になって寝ていたり、朝は寝坊で遅刻したりと酷かったです。
去年の夏頃に、プログラミング経験のある社員が中途で一人入社されたのですが、その人に付きっきりの状態で「私は必要ないのではないか、私に能力が無いからプログラミング経験者を中途採用したのではないか」と考えるようになりました。
その他
・朝礼
基本的に冷房や暖房を点けない職場なので、夏場の暑い中で何十分も立ち続けなければならない朝礼は辛かったです。
私は一度それで体調を崩してしまい、朝礼に参加するのが怖くなりました。
また、私と同様に倒れてしまった人も居て、周りは特に気にせず業務をしていたり対策を講じる様子も無いのがとても怖かったです。
・挨拶
その人の役職によって挨拶をするしないを分けているのも嫌でした。
最初は声が小さいのではないか、と思い大きい声で挨拶をしてみましたが、結果は同じでした。
それでも私は挨拶を止めるということはせず、毎日挨拶をしました。
・肉体労働
毎週月曜日と毎月数回行う肉体労働が大変でした。
人手が足りない状態なので、事務員など関係なく駆り出されます。
面接時には「たまに肉体労働がある」とのことでしたが、人がどんどん辞めていっている状況なので頻度や回数が増えている状態です。
私はパソコンを扱う業務以外は無能同然なので、自分の能力が十分に発揮出来ない業務に対して真剣に取り組んでも周りから何か言われるのは割に合いませんでした。
3.得たもの、失ったもの
得たもの
・Officeのスキル
学校で使い方や関数については勉強していましたが、関数の使用目的や用途がいまいちわかりませんでした。
VLOOKUP関数など、実際に業務で使ってみてようやく必要性がわかりました。
個人的にはピボットテーブルがとても便利だなと思いました。
・バッチファイル、VBAコードの作成
プログラミング経験があまり無くても簡単に作成でき、楽しかったです。
タスクスケジューラの存在を知らなかったので、これらと併用して使用出来る、ということを知ることが出来て良かったです。
・PCスキル
ショートカットキーの便利さを知り、普段使うものや便利なものはある程度覚えました。
マウスを一切使わずにキーボードのみで業務をし、退勤することもありました。
普段の業務では基本的なショートカットに加え、特にコマンドプロンプトのショートカット使用頻度が高かったです。
マニュアルや文書を作成する機会が多かったので、Wordでは太字や文字列の配置等のショートカットを使用することが多かったです。
失ったもの
・イベントに参加する機会
参加したいイベントがありましたが、休日出勤がある関係でこの1年はどれも参加することができず辛かったです。
・趣味の時間
絵を描く時間、また練習する時間が取れず、この1年はあまり成長を感じられなかったなと思いました。
今の環境だと満足に絵が描けず、連勤が続いて絵が描けない期間は泣いてしまうくらいでした。
それほど絵を描くことが好きだったんだな、と気付けたのはメリットかもしれません。
・仕事に対する緊張感
今の緩い環境に慣れきってしまった為、もし次の就職先が決まった際にしっかりと働けるか不安です。
4.最後に
辞めると言ったときに鼻で笑った人、思い切り机を叩いた人、様々な反応がありました。
「休みの日が増えたのは良かったです」と言われたときには辞めて正解だったなと思いました。
高卒で入社し今もなお同じ職場で働き続けているパートの方や、特にやりたいことが無くなんとなく働き続けている上司であったり、皆仕事に対してそういった接し方をしているのか、といった学びがありました。
それに関して特に不幸だとか感じなかったりするのだろうか、と考えました。
こんなことがこの先何十年も続いて、苦痛で灰色の人生が続くのかと思うとこのあたりで終わりにするのも良いのかな、と思いました。
生きていくのって難しいな、と社会人になってみて痛いほどわかりました。
最後に、辛いときに聴いている曲を紹介して終わりにします。
高校生の頃からお世話になっている曲です。
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