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21歳のヨーロッパひとり旅3_(1989年の夏 45日間)

●フランス革命200周年でパリが最も盛り上がった日
(1989.7.14)
 朝テレビをつけたらアニメ「ドラゴンボール」をやっていて、亀仙人が流暢にフランス語を話していた。あんなにペラペラと話せて亀仙はいいな。

 ホテルを出て二人でシャンゼリゼに直行。嬉しいことに、この日メトロもR.E.Rも全線無料だった。フランスはこういうところがエラい。日本だったら臨時改札口でも作って稼ぎまくるかもしれない。

 いや、人の多いこと。通りは人であふれかえっていたので、一本裏通りに設置された大きなモニターで見ていたら、そのうちセレモニーが始まり、飛行機が何機も爆音を立てて上空を取り過ぎた。

 その後、コンコルド広場の方に移動している途中、M 君とはぐれてしまった。まだお礼も言っていなかったし、住所も教えてもらっていなかったので実に残念。

 ずっと一人だったら寂しくはない。でも途中で二人になり、突然何の前触れもなくまた一人になると、本当に心細くなる。

 と、思ったのもつかの間だった。しかし…その後はかなり大変だった。カルチェラタン界隈で宿を探そうとR.E.Rを降りたのはいいが、お昼を食べたくてもパン屋はなかなか見つからないし、有料トイレではまごつくし、極めつけは駅で150フラン(約3000円)だまし取られた。巧妙な手だった。

 そんなこんなで夕方5時になってもまだ宿が探せず(どこも満杯)、にぎやかなサンミッシェル通りで一人階段でぼーっとしていたが、ずっとこうしていてもらちがあかないと思い、絶対何とかしてもらおうの完全依存型心情で駅の切符売り場のおばさんに「安宿知りませんか?」と押しまくった。

 すると、20区にある宿を教えてくれた(後でそこがユースホステルと分かる)。行ってみると、案の定満員だと言われたが、もうどこへも行くところがないので思わず受付に立ち尽くす。
 と、さっきから隣で受付のスタッフと交渉していた20代半ばの女性がいきなり「私と一晩ベッドを共にするなら安いホテルを紹介してもらえるみたいよ」と話しかけてきた。もう自分で探す元気はなかったので「構いません」と答えた。

 教えてもらったホテルのアドレスを手に、私の今夜のベッドの友?カナダ人でダンスインストラクターのスザンヌとユースホステルを出た。
 スザンヌは小柄なのに大きな荷物を3つも抱えていた。さっぱり爽やかな人で、彼女の英語は不思議とよくわかった。ホテルに着き、シャワーを浴びると本当にホッとした。
 夕食後、二人でシャンゼリゼ通りの花火大会に出かける。花火の美しさが目に染みた。人は昼以上に多い。
 その後ぶらぶら歩いていると、5人グループの男の子たちと出会った。ノルウェーから来た20歳前後の人達で、最初私はノルウェー語や早い(と感じられた)英会話、フランス語会話のちゃんぽんについていけず貝になっていたが、ビートルという背の高い(かっこいい)人が親切にも相手をしてくれて、ゆっくり英語で話してくれた。それからずっと話が弾んだ。ノルウェー、好印象。

 一晩中、橋の欄干に腰掛けておしゃべりをしていたが、いつのまにか夜もしらじらと明けてきて肌寒くなったので、メトロで彼らと別れ宿に向かった。(続く)

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