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義父レンとの思い出日記🍀その4(旅立ち&お葬式編)

昨日の記事の続きです…


午後6時過ぎ、Fちゃんを残しデービッドと一旦家に戻り
中華の出前をオーダーして待ってたらデービッドの電話が鳴った。

レンの隣人のバネッサからで、レンが意識不明との事…
デービッドがバンガローに自転車で直行、私も出前到着後
すぐに向かった。

レンの顔は青白く、息もしてない、手を握ると冷たくなっていた。
救急隊が到着するまで、Fちゃんとバネッサは心臓マッサージしながら
デービッドの到着を待ってた。

先に救急隊が着いて、デービッドもその後すぐに到着、
一緒に心臓マッサージを繰り返したものの意識は戻らなかった。

レンは自分で旅立つ日を決めたんだと思う。
だから食べ物も頑なに拒否、飲み物もほとんど受け付けず
潔く逝ってしまった。

亡くなる前日の朝、久しぶりに笑顔で介護士も見送り
言葉は発しなかったけど、穏やかな顔をしていた。

介護士の手にキスをしたり、手を力強く握り返したり
あらゆる手段で感謝の気持ちを伝えるのを忘れない義父だった。

本当に最後までたくさんの人に愛された。

9月に予定してたホリデーも諦めるつもりでいたし
日本にもしばらく帰れない、ロンドンにもあまり行けない…

全身全霊でレンを介護して、歩けるようにしてあげよう!
と覚悟を決めてた、私の気持ちを知ってたかのように

私達の手がかからないようにと、あっという間に旅立った。
あっぱれとしか言いようがない最後だった。

亡くなる1年前に親戚のお葬式に参加した時のレン


救急隊が呼んだ警察の事情聴取が終わり
冷えた出前の中華を食べながらデービッド&Fちゃんと3人で乾杯した。

「レンの人生は何て幸せだったんだろうね!」
と言いながら…

レンがまだ普通に会話できていた時
「自分の人生は最高だ!」といつも言っていた。

歯医者や病院に行くと
「デービッドとミカがいつも自分の世話をしてくれて二人なしには生きていけないんだよ」

と自慢げに私達の事を話すので、そばにいる私は恥ずかしかった。

「ありがとう」をこんなにいう人を私は見たことがなかった。

若い頃、レンは神父になるのが夢だったんだ…デービッドが教えてくれた。

私とレンは実の親子のように仲が良かった。
高齢だったのでいつ逝っても後悔しないようにと
色々なところに一緒に出かけたし…
その事をデービッドはとても喜んで、いまだに感謝してくれてる。

2週間後にレンのお葬式があり、その後のレセプションパーティーには
私たちが結婚式のパーティーを開催した場所を選んだ。



病院ではなく自宅で死去したため検死に時間がかかり
お葬式の日にちが決まるまでかなり時間がかかった。

それまでの準備も大変だった…

葬式の参列者に配るプログラムに使う写真選び(日本だと遺影?)
棺の中に入るレンが着る洋服選び

葬式の後のレセプションパーティー会場&花束の手配
シンパシーカード(お悔やみのカード)をもらった人に
お礼&お葬式の招待状を持って訪ねたり…

イギリスで初めて身内のお葬式は最後までてんやわんや😅

喪主のデービッドはスピーチ作成や
お葬式を取り仕切る神父さんとの打ち合わせもあった。


かなり緊張してたけど、最後まで無事に読みきったデービッド👏

従姉のジルが作ったレンの家族写真のボード&思い出ノート


お葬式に参加しなかったレンの妹パットからの花束も一緒に
パーティー会場のテーブルに飾った。


家に戻り、レンの妹パットのことが気になり
お葬式のプログラム&デービッドのスピーチのコピー
と昔の家族写真を持って会いに行った。

お葬式に参列できなかったのは残念だったけど
私たちの訪問を喜び、デービッドのスピーチを
読んであげると嬉しそうにしていた。

他の参加できなかった人にも
お葬式のプログラムを届け、挨拶をすませ
この日撮影した写真を家族&親戚一同にメールで送って
長い1日が終わった🍀

「義父レンとの思い出日記シリーズ」
最後までおつきあい頂きありがとうございました🌈

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