明治タイトル

明治ゆるふわストヲリイ◆明治のアイドル☆娘義太夫

アイドルと呼ばれる女性がいます。
彼女達が舞台に上がるだけで、場に華やかさが溢れます。

アイドルは笑顔で、芸で、歌で、人々を楽しませてくれます。
彼女たちはいつの時代も夢を与えてくれる存在。

それは明治時代でも例外ではなく、まさに明治のアイドルのような存在がいるのです。
今回はそんな彼女たち、明治時代のアイドルをご紹介です。


●いつの時代でもアイドルは生まれる

娘義太夫(むすめぎだゆう)
明治時代のアイドルはまさに彼女たちの事を言うでしょう。

娘義太夫とはその名の通り、女性が演じる義太夫です。
この娘義太夫はさかのぼること江戸時代から存在していましたが、この規制理由ナンバー1、2を争う「風紀が乱れる」という理由によって政府により禁止令がだされ、たびたび規制されていました。

しかし、明治時代に入り文化政策の改変のなかで1877年(明治10年)に女性の芸人が法的に認められるようになり、彼女たちも一つのジャンルとして盛り上がりをみせる事となるのです。

それはともかく、義太夫と聞いても現代を生きる私たちにとってその名を聞く機会も少なく、ピンとこないと思いますので、ここで簡単に義太夫のご紹介をしましょう。

浄瑠璃(じょうるり)という言葉をなにやら学校の授業でも聞いた事あるなあ、という方も多いのではないでしょうか。

浄瑠璃は、本来はお話を語るもの、または三味線で伴奏をつけながらお話を語るものを言いました。

有名どころではあやつり人形を使い、それに三味線で伴奏をつけてお話を語る「人形浄瑠璃」ですね。


さて、義太夫とは語る方?それとも伴奏?と聞かれるならば「ど~も!三味線&語りの楽器を使わない方、義太夫です!」と答えましょう。

物語を三味線を演奏する人の節にあわせて浄瑠璃の世界を伝える方が義太夫です。
バンドでいうところのボーカルの方です。

男性が語る義太夫節は先ほどご紹介した人形浄瑠璃に用いられたり、人形浄瑠璃の派生で誕生した歌舞伎に用いられたりしますが、今回のお話のメインである娘義太夫は人形や歌舞伎は用いない三味線&語りのみで行われるものが一般的です。

おかげで観客の視線がボーカルに集まるのは必然。しかも女性ときたもんだから、女性ならではの華やかさや表情をより注目してしまうものです。もう男性人気でるに決まってるわこれ。


●明治の親衛隊…その名は「動摺連(どうするれん)」

浄瑠璃の上手い下手はともかく、娘義太夫は男性たちの心を捉えます。

とりわけ若くて可愛い女の子が娘義太夫でもあろうものならその人気はとどまる所を知らず、当たり前のようにファンが親衛隊を作るようになりました。それが分かる当時の新聞記事をご紹介しましょう。

「女義太夫(娘義太夫の別名)の肩衣は京枝、東玉より始まって今はみな肩衣をつけ、うしろ幕やらビラやらでドウズル連を悩ますといふ。ノドより厭味たっぷりの風俗を装いて風俗壊乱の導火線となし、既にこれがため幾万の書生をして堕落せしめたるかわからぬやうであるが、かれらもこの罪亡しには如何なる手段をとってよからうと色々研究しをる由。」

「女義太夫がドウスル連を悩まして、風俗を乱す火付け役となっていったいどれだけの書生がその色気にノックダウンしたか分からないがこれはどうしたものかな」(だいたいこんな感じ訳)

この記事をみるだけで書生のような若い男性を中心に、かなり娘義太夫に入れ込んでいた者も多くいた事が伺えますね。

義太夫節のサワリ(曲の一番盛り上がるところ。いわゆる歌のサビ部分)にもなると娘義太夫も身を乗り出して唄いあげますし、その揺れるかんざしや乱れる髪に観客のボルテージも上がって「どうするどうする!」と掛け声をかけて大盛り上がり

現代でアイドルの歌の途中にファンが掛け声をかけるのと同じです。この「どうするどうする」という掛け声からとって彼等親衛隊を「どうする連」と呼んでいたのです。


●一部の過激ファンのせいで普通に応援するファンが困るとかいうどっかで見た現状

この「どうする連」。特に熱狂的な親衛隊の若者は娘義太夫の乗る人力車の後押しをして席から席へ走り回り、最後に宿元まで送りました

現代のアイドル界隈、特に地下アイドル系のライブだと親衛隊がアイドルを乗り物に乗せて運びながら移動するというパフォーマンスもありますが、明治時代にはもうこの行為はあったようです。

もっとも、これは他の客からすれば迷惑行為。

さらに甚だしいものになると演者にストーカーしたり脅迫したりするといった問題行為を繰り返すという人間がでてくる始末で、ジャーナリストが娘義太夫ブームを「風紀乱れすぎで日本の未来お先真っ暗だわ」という批判も出てきました。いつの時代も物申すおじさんはいるのです。

ただでさえ批判的な風潮なのに、一部のマナー違反なファンの迷惑行為のせいで警視庁も取締を検討したそうで普通にファンをやっている若者たちは相当肩身が狭かったらしく中には自殺してしまう人もいたようです。


●娘義太夫ブーム、その後

さて、どんなブームにも終わりがくるのは当たり前ですが、この明治時代を熱狂させた娘義太夫ブームにも終わりがきます

ブームがおこるという事は、娘義太夫になる人も増えるという事で娘義太夫は殊更人数が増えてしまいました。とはいえ寄席には限りがありますので、東京だけでは商売が成り立たない娘義太夫が続出するのも無理はありません。

地方へ行き活動する太夫もいたようですが、やはり東京ほどの人気や盛り上がりは得られなかったようです。

やがて日露戦争が終わり、浪花節や映画の誕生によって人々の娯楽がそちらにうつっていくと徐々に娘義太夫ブームは静かになっていき、その姿を消していくのでした。


さて、今回は明治のアイドル事情をご紹介させていただきました。
現代のアイドルやアイドルを応援する人々の形態は昭和からのようですが、ファンを熱狂させるアイドル的存在はもっと昔から存在しています。

そしてそれに夢中になる人々の行動を知ると、今に通じるものがあるのも面白いものですね。

それでは本日はこの辺で。



◆参考文献◆「新聞資料明治話題事典(小野秀雄・著)/東京堂出版」「図説幕末明治流行事典(湯本豪一・著)/柏書房株式会社」

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