美術の先生と原点と小川洋子「原稿零枚日記」
去年、ド田舎の最寄り駅に初めて喫茶店が出来た。4テーブルほどしかない小さい喫茶店で、女性の店主さんが一人で営業している。
今まで最寄り駅にふらっと立ち寄ってちょっと飲み物を飲む、というような店が皆無だったので、私は出来てから頻繁にその喫茶店を利用している。
店主さんは本人曰く40代らしいけど、私には30代くらいに見える。派手な美人というよりも、顔のパーツがあるべき場所に存在している、整った顔の女性。
私はこの女性が好きだった。いつも穏やかで、間接照明のような、ギラギラしすぎない静かな明るさがあった。
この人に会うと、いつも誰かに似ているようなそんな気がしていたのだけど、それが誰かはいつも思い出せない。だから、そういう雰囲気の人なんだろうと思いながら、この1年通い続けていた。
つい先日、私は1冊の本を持ってこの喫茶店に来た。それが小川洋子さんの「原稿零枚日記」。小川洋子さんは何冊か読んでいるけど好みの差が激しく、一番好きなのがこの本。
一人の作家の日記のような形式の小説。旅行先で食べた苔専門店の苔料理、父兄でもないのに小学校の運動会を見学する運動会荒らし、次々と客が作品の中へと姿を消す展覧会……現実と非現実を行ったり来たりするせいか、読んでいてどこか不安になる。
そして、その不安感が心地いい、そんな小説。
それで、部屋を掃除した時に引っ張り出してきたこの本を久しぶりに読もうと、喫茶店に持ち込んだ。
店内でカフェモカを頼み、いざ読もうとこの本を持ち出した瞬間、私はなんだか、強いデジャブに襲われた。そして、この本に纏わるある思い出が浮かび上がってきた。
私がこの本に出会ったのは高校時代。当時の美術の先生にオススメされたのがこの本だった。私は当時酷い本好きで、どこに行くにも、何をするにも、片手に本を持っていた。本を持たないと不安だった。
何かに駆られるように、通学路でも、授業の合間でも、いつでも本ばかり読んでいて、周囲を呆れさせていた。
そんな私の一番好きな質問は「あなたはなんの本が好きか」。特に大人にはよくこの質問をしていて、ちゃんと誠実に答えてくれた大人は急にぐっと好感度が上がった。我ながらちょろい話である。
だって、相手の好きな本を聞くと、その人の深いところが少しわかる気がしたのだ。本当は、今でもそう思っている。
それで、当時の美術の先生にもこの質問をした。先生は女性で、20代後半から30代前半に見えたが、高校生の見立てだから実際のところはわからない。
あまり女っけが強くなく、飾らず、どこか中性的に見えた。高校生はそういう大人が好きなのだ。それでいて親しみやすいので、当時の生徒からはかなり好かれていたと思う。
授業中に油絵かなにかを描きながら、授業に全く関係の無いこの質問をした生徒に、先生はちゃんと答えてくれた。その答えが、「原稿零枚日記」。
ここら辺は曖昧なのだが、なんと先生は自分で持っていた本を貸してくれた、と思う。私の都合のいい作った記憶でなければ。それですぐ読んで、次の授業の時に面白かった、という感想とともに返した、気がする。
残念ながら正確なところは忘れてしまった。けれど、それから私はこの本が好きになって、何年か後に自分でも文庫本を買った。それが今私が持っている本だ。
と、いうような忘れ去られた記憶が、喫茶店で本を取りだした瞬間にぶわっと蘇ってきた。私は一瞬、美術室に座る高校生に戻っていた。不思議だった。
この本を読み返すのは数回目なのに、こんなふうに思い出したのは初めてだった。呆然としていると、カフェモカが運ばれてくる。
そこで、ふと気がついた。この店主さんは、どうにもあの美術の先生に似ている。
女性らしいけど、女っけがない感じ、穏やかで親しみやすい感じ、だけど、奥には何かあるな、と思わせる感じ……多分顔は似ていないけど、雰囲気がそっくりだと感じた。
だから今更になって、高校時代のことなんて思い出したのだ。
私はいわゆる両性愛者で、女性をすきになることもある。今思えば、女の子が若くてかっこいい男教師に淡い思いを抱くことがあるように、あの美術の先生に対して憧れを持っていた気がする。
恋と呼ぶには淡すぎるけど、私の女の子に対しての気持ちの原点が、あそこにある気がした。
理由がわかり、安心して「原稿零枚日記」を開く。主人公が学習ノートに原稿を書いてよく出来ましたスタンプを押している場面を読みながら、まだ頭は半分高校の美術室にいた。
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