夏、郷愁もどき
この4月、就職に際して東京に出てくるまで。
つまり、大学時代の4年間を過ごしたところは「坂の街」と名高く、どれだけ自分が立つ場所の標高を上げても目線と同じ高さに建物がある、不思議な場所だった。
住むにはかなり不便で、友達の家やサークルの練習場所に行くのに、何度息を切らして坂を登ったかわからない。
まあでもそれだから、高いところから見る夜景が、物凄く綺麗な街だった。
昼間はあれほど憎らしく思う坂道を、夜、街灯の明かりが彩るだけで許せる気がする※くらい、
夜景が、綺麗な街だった。
夜景スポットは軒並み山の上で、その山の中腹あたりにホテルが乱立している。
7月の3連休、ちょっとした息抜きに……と、そのうちの1つに泊まった。
今回は、その時の話を。
夏、郷愁もどき
そのホテルは、夕食・朝食のビュッフェ?バイキング?もさることながら、やはり、部屋と露天風呂からの夜景が醍醐味らしい。
そりゃそう。
1年前にも同じ宿に泊まったのだけど、その時は同行者である彼氏の誕生日サプライズを兼ねており、この手のサプライズは大体相手の入浴の間に準備をするのが鉄則のため、正直露天風呂どころではなく。
今回の同行者も彼氏であり、当日と誕生日との距離感も似たようなものではあったけれど、
「今回は誕生日やらないから!!!また後日ね!!!」と高らかに宣言して、露天風呂を楽しませていただいた。
露天風呂からの、夜景。
山の上から家並みや街灯に沿って、光の粒がきらきら。
真っ暗な海に反射した光の筋が、ゆらゆら。
どう見ても、マンションのかたちの光とか。
人の営みによって夜景がつくられていることは、都会も地方も変わらないのだな、と……(都会のそれは、労働者の残業の結晶ですが)。
結構広めの露天風呂だったため、つい3,4ヶ月前には自分が住んでいた場所も見渡すことができて、あれは〇〇だ、あのあたりには行ったことがあったっけ、と、1人で思いをめぐらせること十数分。
ふと、もうこの光の粒の中に、わたしの帰る場所はないのだな、と。
それこそ1年前は(露天風呂には本当に一瞬しか入らなかったけれども)、明確に自分の住所として籍があり、帰る場所も“そこ”にあった、この街。
あえて強い言い方をすると、もう、わたしには関係ない場所になってしまったのだな、と。
第二の故郷、という言葉があるけれど、
生まれ育ったわけでもなければ実家があって家族や親戚が住んでいるわけでもない。
仲の良い友達や、それこそ大学時代の後輩たちはまだたくさん住んでいるし、彼氏だってそう。
でも、その人たちだって、いつかはこの街を離れていく。わたしみたいに。
何年かしたら、わたしに縁のある人はほとんどいなくなって、久しぶりに帰っても知っている人と会うこともなくなるのだろう。
宿泊以外にも数日滞在して、数ヶ月前まで住んでいた場所の近くまで行く用事があって。
今回は「ちょっと懐かしいな」みたいな気持ちだったけれど、いつかは、そこにいる自分に、違和感を抱く日が来るのだろう。
何だか寂しいのか、こわいのか、わからない気持ち。
郷愁って、こういうことを言うんだろうか。
だとしたら、あそこはもう、紛れもなくわたしの第二の故郷かも。
郷愁って、こういう意味らしい。
だとしたら、わたしの心はもう、東京にあるのかも。
東京の暮らしは楽しい。
昼休みに思い立ってチケットを取って、会社帰りにふらっと、好きなお笑い芸人の漫才を見に行ける。
大好きなアイドルのコンサートも、交通費や宿泊費を計算することなく、すんなりとチケットを申し込める(当たるかどうかは別問題)。
歩いて行けるところに、何でもある。
大雑把に主要な店舗を集めたショッピングセンターに慣れていたから、買い物する場所が1箇所に固まっていないのだけ、すこし不便に感じるけれど。
しばらくは、東京を離れる気もない。
地元に帰らなきゃいけなくなる日は、もしかしたら来るかもしれないけれど。
地元からも遠く離れた第二の故郷に住むことは、もう二度とないだろう。
次回は、3月に発ってから7月の今回までよりもっと、期間が空くかもしれない。
その時わたしは、あの街に対して、何を思うのだろう。
なかなか寂しいけれど、それ以上に楽しみな自分もいる。
第二の故郷、それまでどうかお元気で。
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