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落ち込んだりもしたけれど、私は元気です

※2020年春にFBに投稿した記事より

退院してから2ヶ月経ちました。
最近は少しずつ食べられるようになり体重も増えてきたので、栄養不足で再入院の不安もなく過ごせています。
美味しく食べられるって幸せなことですね。
体重が戻ったら、手術で取りきれなかった腫瘍の放射線治療を再開する予定です。

自宅に戻ってきて1ヶ月の頃、生ゴミ出しに初めて庭に出てみました。
足裏から伝わる柔らかい土の感触に、止まっていた体内時計が動き出したような感覚でした。

ああ、土だ。
土ってこんなにも柔らかかったのか。
病院の無機質なリノリウムの床と違って、なんてあたたかいんだろう。
人は土から離れては生きられないのよ!
うんうん、シータ本当だね。

いつも一定温度の病室は快適だけれど、外が暑いのか寒いのかもわからないと、どんどん心が麻痺していくようで。
じわじわと足を這い上がる土の感触と、青い空の下どこからか漂う梅の香りに、生きていること、戻ってこられたことを実感しました。
私は確かに生きている。

桐吾さんが年少時に担任だったM先生が、脳腫瘍で療養されていたのですが、先日お亡くなりになったと園から連絡があり。
同じ病気だったけれど、自分は退院できたから、そのうちM先生もきっと…と思っていたのでショックでした。

療養中も何度か園に顔を出してくださったり、行事の際にはお手紙をくださったりと、幼稚園のお仕事が大好きで、子ども達を愛していたM先生。
きっともっと子どもと触れ合いたかったろうに、やりたいことまだまだ沢山あったろうと思うと残念でなりません。
桐吾さんも卒園まで見守って欲しかった。

幼稚園のお御堂に祈りの場が設けられているとのことで、昨日お祈りに行ってきました。
祭壇には桐吾さんの入園式の集合写真が飾ってあり、懐かしさと切なさや無念さ、いろいろな感情が溢れて、気づくと涙が流れていました。
M先生、ありがとうございました。
お疲れ様でした。
どうか天国から桐吾さんを見守ってください。

なんでM先生は亡くなって、自分は生きているのか。
生かされているなぁと感じずにはいられない。
私が生きている意味って?
私にできることって何がある?

生きているうちにやりたいことやろう。
会いたい人に会いに行こう。
後悔しないよう、1日1日生きていこう。

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