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【短編小説】あの日見た小さな夢

「ジュースを飲んだら、おうちに帰ろう」
莉子は小さな口の隙間からストローをくわえて、りんごジュースを飲んでいる。まだ帰りたくないのかいつものように勢いよく飲まない。子どもながらの小さな反発なんだろうか。その日は天気が良く、ここ最近で一番の快晴だった。
   木の多いこの公園は“みどり公園”といい、莉子が産まれる三年ほど前に出来た。ブランコにすべり台、まだ手の届かない鉄棒もあった。
「パパ、おうちに帰ったらごはん?」
莉子は寂しいような顔をして俺に聞く。
「そうだよ。今日は莉子の好きなハンバーグだ。だから早く帰らなくちゃね」
莉子は一瞬嬉しい顔をしてから寂しい顔に戻った。 そんなに家に帰りたくないのか。父親三年目にしても、未だに子ども心というのは理解するのに時間がかかる。
   莉子の母であり俺の妻は、莉子を産んですぐに亡くなった。事故だった。
買い物帰りでレジ袋を両手に持ち家に向かう途中、信号無視をした乗用車にはねられた。
   それからというもの、俺は一人で莉子を育てている。一人というのは嘘になるか。義父母に支えてもらいながら育児に奮闘している。
   みどり公園からの帰り道、莉子はふと空を指さしこう言った。
「ママもハンバーグ食べるかな」
俺は返答に困った。
「ママはハンバーグ大好きだったから、もしかしたら食べるかもな」
これは合っているのか、間違えているのか。子どもの純粋無垢な質問にこう答えるのは間違いなのか。はあ、わからない。
「そっか。じゃあ、ママの分も用意しなくちゃね」
莉子はニコニコの笑顔でそう言った。
俺は驚いた。莉子はママのことを覚えていない。なぜなら莉子が産まれてすぐに亡くなっているから。なのに、覚えていないママのことをこの小さな体で思いやれているのか。三年という歳月は短くもあり長い。ふとしたところで成長が垣間見えた。
「そうだな。うん、そうしよう」
俺は笑顔で莉子にそう返した。

   家に着くと、莉子は手洗いうがいをする。
「パパもグチュグチュペッしてね」
「うん、莉子の次にするね」
子どもは擬音語のオンパレード。一瞬なんの事かと頭を悩ませたりもするが、こんなに可愛らしいのはいつまでなのかとも考える。
   手洗いうがいを終えた莉子はいつもの定位置に着く。莉子専用のイスだ。これは莉子が産まれてすぐに妻と俺で用意したものだった。このイスに莉子が座って、この小さいテーブルにお誕生日ケーキを置く。楽しみに待った莉子の一歳のお誕生日は、莉子と俺の二人だけで過ごすことになってしまった。
「ねえ、パパ」
「ん、どうした」
莉子は俺を見ずに俺を呼ぶ。
「このイスね、小さくなってきたよ」
俺は小突かれたような感じがした。
もう三歳、莉子と話していてみえる成長と体の成長。そうだよな。赤ちゃん用のテーブルとイスがくっついているタイプだ。
「大きいイスが欲しいな」
莉子にとって何気ない一言が俺の中で反芻する。
「そうだな、明日買いに行こうか」
二人で買いに行ったイスは莉子にとってはまだ大きかったのに、今ではこんなに小さいイスになってしまった。
「でもねパパ、このイスは捨てないでね」
「どうして?」
莉子はいたずらな表情ではなく真剣な顔で俺を見た。
「ここは明日からママのイスになるんだよ」
俺は大きく目を見開いた。それと同時に流れる涙。
「明日のパパの誕生日、ママはここに座って私は大きいイスに座るの。みんなで一緒にケーキ食べよう」
   俺は莉子を抱きしめ、その横には嬉しそうな妻の笑顔が見えた気がした。

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