スリサズ(門)

昔、マックの早朝バイトをしたことがあります
ほんのわずかな期間だけ

初日だけやり方を教わって
あとはずっとひとり
誰もいない厨房は
入るとズサササとゴキブリやネズミが逃げていく
大きな流しにお湯と洗剤を入れて調理器具を浸けて
その隣の流しに移し替えるけど
調理器具は大きくて重たくて水が切れなくて
私はびちょびちょになり
2つの流しはどんどん同じように濁って泡立ってくる
引き揚げたものを拭くことすらできず
次は調理

パティや何かは何時間経ったら廃棄すると決まっていて
待機ケースの中でどんどん時間とともに乾いてゆき
開店数時間後になるといろんな音があちこちから聞こえてくる
当時、マクドナルドは最少人数で超効率的な運営方法を確立したともてはやされていて
全世界で使われているであろうその保存ケースは
アラームの音がそれぞれ違う
それを聞き分けて対処するのが「一人前」と

決まった具材を挟んで
決まったシーズニングをかけるけど
これが美味しいのかこれで美味しくなるのか?わからない
包装紙でくるんでも
なんだか綺麗にまとまった気がしない
それは食べ物なのか?
心を込める隙間もない

これが社会なのだと
これが労働なのだと
享受する側ではなく生産する側になった途端に
「そういうものだ」と思っていた思いや常識は捨てなくてはならないのだと
働くたびに教わってきた
「思い」を活かしてそのまま働ける場はどこにもなかった

働くたびに、私たちは、社会の欺瞞を知った

ピピピピと鳴るアラームに合わせて反応するだけの
私たちは何なのか?
どうしてそのような労働が許されているのか?
それが現状として機械ではできないのだとしても
人間にやらせる方が安上がりで効率的なのだとしても
私はしたくないし人にもやらせたくない
こんなのは「労働」ではない
そう思ったけど
その問いに答えてくれる大人はいたか? 誰かひとりでも?

多くの人は「知らない」だけだ
でも、「知っている」と思っている
知らないがゆえに無邪気にも
そして知っていても言語化できない私に説教した
私は彼女を抱えて黙るしかない

こんなのはおかしいよね? お姉ちゃん
どうして? どうしてなの?

食べ物なら食べ物らしく扱って
仮にもそれを作っている人がいるのだから
パンもパティも野菜も
彼らがいなければそれは成立しないのだから
心を込めて扱って、心を込めて届けたかった
私も相手も、それにかかわる人全部を大事にしたかった
これは「餌」じゃないから

仕事をするごとに、そんな気持ちは失われていく
私たちは「彼女」を殺して、それによってこの世の中に順応している
それぞれの中で
それは「能力」か?

社会人になったら
違う地平があると思ってた
それぞれの業界の、それぞれ違う仕事をする人たちがおかしさを持ち寄って
そうじゃないよねこうだよね、そうなんだねと語り合える場が
どこかにあると思ってた
そうできると思ってた
彼女は信じていた
人間を、社会を
その可能性を

それが通じないなら
逃げるしかない
合理的な結論
彼女を抱えて
今私は、スリサズの前に立つ