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読書が嫌いな私が記事を書き始めた理由

投稿を始めて、2ヶ月程が経ちました。
ネタが尽きたので、なぜ私はネタ切れに悩まされているのか、なぜ私は記事を書いているのか、私とは何かまで考えてみました。


私は読書が嫌いだという話をすると、多くの人は意外だという反応をとる。
それもそのはず、読み物自体はかなり好きだからだ。

ではなぜ読書が嫌いなのか。
これは私に限った話ではないが、全ての本を好きになれる訳ではない。
わざわざ時間をかけて最後まで読んだ本が好みではないものだったら、馬鹿馬鹿しいだろう。

1日は24時間しかない。
それどころか、自分が5分後に死ぬことも十分に考えられる。
それなのに、一流になるためには10,000時間が必要だという。
自分の時間は全て自分の為に使いたい。好きかどうかもわからない本に費やせる時間などない。

これはドラマやアニメ、ゲームなどにも言える話だろう。
基本、私はそれらに時間を費やさない。
私のような人に時間を使ってもらうには、短時間で簡単に伝わる魅力による動機付けが必要だろう。
その手段として、キャストのビジュアルや主題歌などがある。

しかし、文字だけが並べられた本では、そのような動機づけが難しい。好みかどうかも分からないのに文字を追って内容を理解する時間は、他と比べても退屈に感じやすいだろう。

だからと言って、活字に触れない訳には行かないだろう。
私は、読書の利点を知っている。
読書をする人間は、自分とは異なる考えと出会う機会が多い為、物事を多角的に考えることが出来る。
また、語彙が豊富で、自身の考えを伝えるのも得意である。

そして、インターネットが便利な世の中で、ネットがなくても幸せになれるのは読書をする者だけだと思う。
私が高速バスで回線トラブルにあった際、普段から読書をしていればこの数時間も苦ではなかっただろうと後悔した。

そんなときに私が取った行動が、「記事を書く」だったのだ。回線トラブルの中、私が唯一使えるアプリがメモだった。本来の機能を失ってしまったプラスチック板にダウンロードされた大好きな曲を聴きながら、歌詞考察の記事を書いた。

読書すらしない私が記事を書くことは、簡単ではなかった。だからこそ、記事を書く過程で学べることが多かった。

ジャンルを問わず、様々な記事を書いている。
読書をしない私が書いた記事。
ある意味、他に影響されていない私だけの意見。

「類は友を呼ぶ」
読書をする人間は、自分とは異なる考えと出会う機会が多い為、物事を多角的に考えることが出来る。
しかし、その本を書く存在も読書をする人間だ。
どんなにたくさんの本を読んでいても、読書をしない人間の考えに触れる機会は少ない。

だからこそ、読書をしない人間として、考えを発信していきたい。

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