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「ルワンダ中央銀行総裁日記」を読んで

前からいろいろなところで、評判が良いので、1度読んでみようと思っていたが、やっと、仕事辞めて、緊急事態宣言がまた出て(一体、何回緊急事態宣言を出しているんだ、他にやり方はないのか、全くもう!!)、本を読む時間が増えたので、読んでみた。

ルワンダがどこにあるかも知らない。たまたま本を読む前の週に、NHK BSの「グレートネイチャー」でナイル川源流域のウガンダへ行く番組を見たとき、どこだろうと思ったら、ナイル川河口の地中海から6000kmも距離のある中央アフリカのビクトリア湖に面した国であることが分かった。ルワンダはウガンダの南西部分に接する隣国であることがわかった。東から時計回りに、タンザニア、ブルンディ、コンゴに囲まれた小国で、面積は26300平方キロメートル。九州の3分の2強の広さである。

第一次世界大戦前はドイツの植民地だったが、第一次世界大戦でドイツが敗れ、国際連盟の委任統治領となり、ベルギーの植民地になった。1962年に独立。著者が赴任した1965年は、独立からわずか3年目。当時は、フランス語とウガンダ語が公用語。(現在は英語も公用語)。政府の官吏の素質は劣悪で、大臣以外は、ベルギー人が要職を占め、ちょっとややこしいことはベルギー人の顧問に聞かないとなどと言って、ルワンダ人は熱心に仕事をしようとはしない。主な商社やルワンダ商業銀行はルワンダ法人ではあるが、役職はベルギー人が占め、ルワンダ人では重要事項は決められない。独立したとはいえ、植民地体質そのままで、ルワンダ人には税が重く、ベルギー人は税が軽いという制度になっている。ほかにも、これでもかこれでもかというほど、難問山積みの国で、奮闘する実話である。

難しい経済の話は苦手だが、ルワンダ中央銀行総裁として、通貨改革、経済再建を遂行し、貧しいルワンダ国民の生活水準を上げたいとの思いが、随所から読み取れ、好感がもてた。金融関連だけでなく、農業生産の増強にも関与し、増えた農産物を売買するルワンダ商人の育成にも関与し、利益をベルギー人にたくさん持っていかれないようにと、様々な方策を考え、実行し、こんなにルワンダの発展に貢献した外国人はいないだろうと感心した。

1965年といえば、私は小学生だった。父がブルーカラー労働者であった我が家には、カラーテレビはなく(白黒はあった)、日本電信電話公社の黒電話もなく、冷蔵庫もなかった。食べるものや着るものに不自由を感じたことはなかったが、豊かだと思ったこともない。そんな時代に、日銀マンとして、途上国の開発援助に取り組んでいたというのだから、当時の日本は、先進国気取りでいたのだということに、多少違和感を覚える。

それはともかく、アフリカについての自分の知識がまるでないことが分かった。中学生の地理の授業で、1960年はアフリカンエイジという説明を聞いた。なぜなぜ、強欲な欧州人がアフリカの植民地を手放したのか、今まで調べたことはなかったが、アフリカンエイジという単語は、50年以上記憶から消えなかった。奴隷貿易や欧州の戦前からの植民地支配などについて調べるきっかけになったので、この本を読んでよかったと思っている。

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