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IT思い出話(16)

次のプロジェクトへ…

さて、最初の配属から3カ月あまり、すぐに次のプロジェクトへの異動が決まりました。次も大手証券会社で、業界最大手のN社といえば誰でもわかることと思います。

当時私の会社は、N社の仕事に注力しており数多くのプロジェクトを受注してどんどん仕事の規模を拡大しているところでした。私の作業場所は本社から客先に移ることになりました。

場所は兜町に近い茅場町近くのオフィスビルで、本社よりも通勤が便利になりました。そのビルには私たちだけではなく、わが社の別のプロジェクトも別フロアに入居していました。

客先のフロアの一角にわれわれの大きな部隊が常駐する形になったのですが、いわゆる客先常駐のアウェイ感は全然なく、むしろ私たちの部隊の存在感の大きさが際立っていた記憶があります。

たかがコピー機、されどコピー機…

ひとつ面白い思い出があります。今ではコピー機は事務用機器としてありふれたものですが、当時はまだまだ普及過程にあって客先には設置されていたにはいたのですが、コピーを取るのに上司の許可とハンコが必要な状況でした。

こんなこと、今では信じられないと思いますが実際にあったことなのです。そして、当時客先に設置されていたコピー機にはもう一種類あったのです。それは、湿式複写機と言われるいわゆる青焼きコピー機だったのです。

青焼きコピーは、今でも建築関係では使われていると聞いたことがありますが、その利点はもとの原稿とコピーの縮尺が変わらないことだったと思います。そういう特徴があるので、建築用の設計書のコピーには不可欠のものだったようです。

しかし、一般の事務書類をコピーするのにそんなことは必要がなく、普通の乾式電子複写機(普通のコピー機のこと)の方が断然便利なわけです。私がプロジェクトを移った当初は青焼きコピーを利用していたのですが、すぐにわれわれの部隊が増員して拡大することになり、ついに客先に自前のコピー機を持ち込むことになったのです。

実は当時の私の会社の顧客に、コピー機の老舗メーカーのX社があり、その関係でわが社ではX社のコピー機を使い放題だったのです。本社のコピー室には巨大な印刷機のようなX社のコピー機が設置されており、また、フロアには部署ごとに十分な数のコピー機が設置されていて、気楽にコピーできたのです。

さて、客先に持ち込んだ立派なコピー機はすぐに話題になり、なんと客先の担当者までもが使わせてほしいと言ってくるありさまでした。先に述べたように、客先のコピー機は上司のハンコがないと使えないうえに、小型でスピードも遅かったのに対して、われわれが持ち込んだX社のものは、ドキュメントフィーダー付きの高速機だったのです。

あっという間に設計書一式をコピーできることに、われわれは妙に優越感を抱いたものでした。客先には他の協力会社(外注:派遣技術者)もたくさんいましたが、われわれの存在が際立っていたのは言うまでもありませんでした。


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