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景色¦メリーゴーランド


わたしの見ている、景色とかいうものはくるくると色が変わる。多くの人のそれがそうであると思うけれどわたしの景色にも色々な色がある。

色という名の形のような、匂いのような、そういった何かを閉じ込めたいと思ってこの文章を書き始めた。

これは私のような、私ではないわたしの文章だ。

どうしてまた懲りずに、自分でもよくわからないような、そんな文章を書くのかと言うと、それはある一冊の本に出会ったからだった。


わたし自身、本を読むのが好きだ。好きな本はたくさんあって、でも決して多くを読んだ訳でもなく好きを狭くというように本が好きだ。

ただ本が好きで、本を読んでいる私が好きで、本が並んでいるのを見るのが好きで、本に囲まれるのが好きで、好きな本を本棚に増やしていくのが好き。

自分から、本を読むということを取ってしまったら、この経験の無い私は、泣きべそをかくことだろう。それほど私は、本に書かれてある事に頼っている。一つの本を読んでは、パッとその本に夢中になり、信頼し、同化し、共鳴し、それに生活をくっつけてみるのだ。また、他の本を読むと、たちまち、クルッとかわって、すましている。

太宰治『女生徒』

太宰治の『女生徒』という本を、偶然に青空文庫で読んだ。そしてこの主人公の考え方や、見えている世界というものが、わたしみたいだとそう思った。

わたしはまだ、この本を半分も読んでいない。というより、青空文庫だから横書きのデジタルで紙をめくる感触はない、わたしはそれを本とは呼べない。漫画のデジタル化は良いけれど本のデジタル化は、良くない。活字に触れるとかよくある教育的なことはなしに、わたしは、本というものは紙でできていて本棚に並べられて、持ち歩けるものじゃないと嫌だ。

だからこの本は本として読みたい。この、わたしを端的に表してくれるかのような、そんな文章があるページに付箋を貼って何度も読み返したい。

まぁつまりはこの本の主人公が見ている景色の、その描き方や見え方が、とても好きだという話。

わたしもわたしの世界を、綺麗な時も汚い時も薄暗い時もボヤけた時もあるわたしの世界を形に、文字にしてみたいという話。

そしてわたしの心の中を、形のない心を形にしてみたいという話。

黒歴史など産み慣れている。

〝わたし〟を形にするという試みのうちの一つが、前に投稿している短歌。景色や心の綺麗な部分や汚い部分や、マーブル模様の部分を切り取って押込める。

憧れの人が書いていたから、という理由で始めたものの、誰にも届かない、Xではいいねなんてつかない自己満でやっているものの、とても楽しくて、いつか誰かに共感して貰えたらいいななんていう、わたしの世界のひとつ。

黄砂のせいで空は濁っている、風はまだ涼しくて桜の木はわたしの入学式が迫っているというのにまだきらきらしてくれない。

そういえば、わたしの新しい制服のネクタイを結ぶ練習をするのを忘れていた。

花粉のせいか、春ってどことなくエモーショナルでセンチメンタルなものだ。そういった思考に偏って酔ってしまうから嫌になる。

溢れて止まらない、この文章の終わりそうにないのも春のせいで色々溢れてきてしまうからだ。

わたしはメリーゴーランドのようにくるくる回る自分の心や思考や景色が綺麗なものになるように、そんな文章を書きたい。または綺麗なものに見えるように。

メリーゴーランドのようなわたしになりたい。

だから、メリーゴーランドと名付けた。
この日記みたいなエッセイみたいな、これは、一体どれくらい続くだろう。





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