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生活にBGMをつけるお話と、未来。


OpenComm2+スマートフォン

生活にBGMをつける

最近、骨伝導イヤホンをつけて外出する機会が増えました。
在宅勤務でマイク付きイヤホンが必要になるというのもあったのですけれど
引っ越しした先の環境の交通ルールが少し荒めなので、密閉型のノイズキャンセリングイヤホンだけで生活していると怖いな、ということもあり。

骨伝導イヤホン、基本的には密閉型よりも音質面では劣るとされているのですけれど、その代わりに耳を一切塞ぎません。
車に乗っている、でもない限り基本的に外出中に音楽をかける、というのは耳をある程度塞ぐ行為だと思っていたんですよね。イヤホンのタイプが何であれ、それは変わらない、と。

でもそれは違ったんです。
骨伝導イヤホン、耳を塞がないのであくまで主は周りの音なんですよね。
イヤホンから流れてくる音は副。

普通の密閉型、それもノイズキャンセリングイヤホンだと流れてくる音に集中するというか、聴くためのデバイスだと思うんですよね。
骨伝導は逆で、環境音に対してイヤホンから流れてくる音はサブなんです。
歩いていると聞こえる色々な音、人の声、自転車、自動車の音、電車の音……それらの中に薄く、イヤホンの音が紛れ込んでくる。

これはどういうことかというと、お散歩にBGMがつくんですよね。
喫茶店で流れているジャズの様に、屋外の生活にBGMがつく。
これがまた普通のイヤホンとは違った感じで楽しいんです。

45年前、ウォークマンが流行った頃ってこんな感じだったのかなって。
当時って、今みたいにノイズキャンセリングイヤホンで音楽に集中するよりはオープンイヤーのヘッドホンで聴いてる写真が残っていたり今とは少し体験の質が違いそうなんですよね。

人混みの中で一人でいたかったんだ

人混み、疲れちゃうんですよね。

家の中ではスピーカーで音楽を聴いたりしますし、家事をやりながらだったりするので自然とBGM的な使い方になりますけれど、お外に出たときにイヤホンで音楽を聴くってそこよりも一歩前に出て、自分以外を消去するために使っていたなって。
都会の人だらけの中を歩く、人の声が混ざる、そういう疲れることへの対応として、自然とイヤホンをして、ノイズキャンセリングをして、人の声を消していたなって。
元々は音楽が好きで聴いていたはずなのに、いつの間にかお外に出ると疲れる様々なものに蓋をするためにイヤホンをしていたんだなって。

そう、改めて気がついたんですよね。
いやまぁ繁華街に行くとやっぱり人の声で疲れてしまうので、骨伝導イヤホンだけでは生活できないのですけれど。結局ノイズキャンセリングイヤホンも持っていってしまうのですけれどね。

でも人が少ない所や、公園で使うと楽しい。
お外での行動中にほんのりBGMが付く感じが楽しい。
骨伝導イヤホンでBGMを流しながらお写真をとると、まるで自分がVlogの主人公になったみたい。

最近私が好きなVlogというか映像をアップロードしている方の動画。
こういうおしゃれなVlogってあるじゃないですか。その主人公。楽しい。

未来を感じた

それともう一点、この骨伝導のイヤホンと一緒に使うことですごいなって思ったのが、ナビアプリやボイスアシスタントなんですよね。

要はNavitimeやAlexaの様なもの。
最近のNavitimeやGoogleMapは徒歩でのナビゲーションも十分実用になる様になって、もう道に迷いやすい私には神様の様なのですが、その話はまた別でするとして。

例えば、初めての場所に行きたいって電車の中で検索して、駅を出たぐらいでナビを入れるじゃないですか。
すると、人の声の中に一人案内役が増えるんですよね。

いやNavitimeのCMとかそのものでしょって言われればそうなんですけれど
先ほども書いたように骨伝導イヤホンってあくまで副なんですよね。副。

交差点までいくと、「横断歩道を渡ります。」
途中で曲がるときは、「右に曲がります。」

普通に歩いて、外の音を耳で聞いて、その中で必要な時だけ案内役の人が教えてくれる。案内だけ終えたら、またそっと居なくなる。

これが、普通のイヤホンではないなって思ったんです。
ノイズキャンセリングにしても何にしても、耳に装着する時点でそのナビの音声が強く聞こえるじゃないですか、ナビが主で環境音が副。
でも骨伝導イヤホンは違うんです。普通の環境音に自然に混ざってくる。

アレクサみたいなのも同じなんですよね。
お散歩していて雨降りそうだなって感じたら、アレクサに「雨降るかな?」って。
アレクサも自然に、「雨が降ることはないでしょう。」って。

OpenComm2のようなマイクブームがないと独り言を喋る怪しい人になりかねない側面はあるのですが、それは置いておいても、生活の中に自然に助けてくれる存在が混ざり込むのですよ。 これは凄いなって、未来だなって。

特別なことをしなくていい

GoogleAssisantの「Ok,Google」も、Siriの「Hey, Siri」も、当時の技術的な成約として、ウェイクワードって存在があって、人に呼びかけているのとはちょっと違うんですよね、声を掛けるというよりも、呪文を唱える。アブラカタブラ。

Alexaだと、人名っぽいのでその感じが結構薄れて、かつ骨伝導だと環境音に混じって反応するので、特別なことをしている感じがないんですよね。
生活の一部に混ざっている感じ。

「Alexa、雨は降るかな?」
「雨が降ることはないでしょう。」

「Alexa、買い物、何買えばいいんだっけ」
「買い物リストに1件あります。たまご。」

本当に、自分の隣にアシスタントがいるようで、これはちょっとした未来だなって。スマートフォンが本格的に普及し始めて10年以上、もうこんな所に未来が転がっていたんだなって。

そう思った、お話でした。





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