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入籍し(て)ました──ジェットコースターのような2022年でした

突然ですが、今年2022年の6月7日に入籍いたし(て)ました。
もっと早くご報告したかったのですが、わけあって(後述します)皆さまからのいろんな言葉を受け取るための心の準備が整わず、2022年も終わりかけの今日までご報告できずにおりました。いろんな事があったもので何からお話すればよいかわかりませんが、ひとまずは、馴れ初めから。

 二人が出会ったのは昨年(執筆時点)のこと。元はTwitterのフォロワー同士で、お互いやり取りはしないけど存在は認識しているくらいの間柄でした。修論のあれこれも終わってTwitterに浮上する余裕も出てきた頃、Twitterのフォロワーがバスの運転士さんになったのを知り、バスオタの私はついテンションが上がって、リプライで「うちの近くを走ってるバスがけっこう変わった路線で面白いんだよ」というようなことを話したら、返事は「あー、それ運転してるよ」と。まさかまさかの不思議なご縁で、実はすごく近いところにいたんだと知って驚き、そこからよくTwitterで絡むようになりました。修論が正念場の時期には、駅まで出るためのバスに乗りながら、蒼い顔をしてパソコンをカタカタしていたものでしたが、もしかしたらそのバスを運転していたのがTwitterのフォロワーだったかもしれないと思うと、すごく不思議な気持ちになりました。(実はこの時点では相手が異性だとは気づいていませんでした)

 やり取りしていても何だかんだで気が合うので、いっしょにお散歩に出かけようということに。その時点で相手が異性というのはなんとなくわかっていたので、.。o(女性の「歩くのが好き」は自分が好んでするような限界徒歩移動とは違うってことをちゃんと弁えてないと大変な失礼になるぞ……ついてはなるべく距離が短く坂がなく、疲れたらいつでも入って休憩できる喫茶店があって、それでいて地元を紹介できるようなコースにしよう) などなど考えながらGoogleマップとにらめっこして当日を迎えました。

 駅で待ち合わせて、さっそく出発。この場所はこういう場所でどうこうとか、これはこういう歴史があって地元の人は小学校で習うんだよとか話しながら川沿いに案内して、ほどなく予定していた折り返し地点。ひとまず見どころは抑えたので、こっから先は歩くと長いから、橋を渡って反対側を戻ろうと提案したら、「もう少し先まで行ってみたい」と。休める場所あるかなとか考えながら先へ進むと、気づけばけっこうな距離を歩いて隣駅の駅入口まで来ていました。そろそろ反対側に行こうかということで橋を渡って、待ち合わせた駅に戻りました。すこし休憩しようかと提案したところまだ大丈夫と首を横にふり、今度は反対側の方角へ線路沿いに歩くことに。もしかしたら「歩くのが好き」って、本当に歩くのが好きなのかもと思い巡らせつつ、予定外のアディショナルタイムへ。

 まちを歩いていると、へんな建物やら、吸い込まれそうになるような怪しい小道やら、面白いものにぶつかるもの。自分一人で散歩する時は、そのような面白いものにふらーっと吸い込まれていってもいいから、そいった意味でも、旅は一人でするのがいちばん楽しいものでした。でも今は一人旅の時間じゃないから、あそこに見える味のある建物と、その横の怪しくくねった小道はまた今度一人でじっくり見に来よう──そう考えた矢先、「こっちに行きたい」と、指差す先にはその怪しい小道。少しおどろいて目を合わせると、その目の奥に自分とおなじ色の好奇心が光るのを感じて、その方向へ自然と足が向かうのでした。世界の視えかた、歩きかたがあまりにも一緒で、この人となら二人で一人旅ができそうだと気づくまで、ほとんど時間はかかりませんでした。そうと気づいたなら、あとはひたすら好奇心の赴くままどこまでも、日が暮れるまで歩いて、くたくたになって初めてのお散歩を終えました。残されたのは心地よい疲労と、もうひとりの自分を見つけたような、なんとも言えない不思議な感覚でした。

 すごい人を見つけてしまった。一緒にいてこれほどまでに自由にいられる人に、この先出会うチャンスがどれくらいあるだろうか。なんとかしてこのひとの側にいられないか。自分は男性で相手は女性だから、付き合ってそれこそ結婚までいければずっと一緒にいられるけれど、自分にそんな自信なんて無いし、未熟な自分の至らなさゆえにこのひとの側に居られなくなるかもしれない。気持ちに正直になればいいじゃんといっても、もはや恋愛感情なんて刹那的な問題ではなく、このひとが側にいるのといないのとでは、人生のおもしろさが大きく左右されるのは間違いない。そう考えたときに、目指すべきはただ一つ:なんとかして二人の間で「何も始まらない」ようにして、「肩肘張らないイイ感じの友人」というポジションに落ち着くために、最善の行動をとろう──これしかない。なんたって人生かかってんだ。うまくやれよ自分。

 そう心に決めた矢先、話の流れで恋愛の話になり、どうやら相手も恋愛に対しては心配事を持っていてとても慎重な様子。しめた、渡りに舟とはこの事と思い、すかさず「心配だからせめて1年は様子を見たいよね」というような事をいうと、なぜだか驚いた様子。頭上に「?」を浮かべていると、「まったく同じことを考えていた」と。お互いの心配事や思惑がまったく一緒だと気づくと同時に、その両者一致した思惑は失敗に終わったのでした。そしてこの人とならきっと大丈夫だという安心ととも心配事は氷解し、ふたりは一緒にいる決心を固めたのでした。

 あまりにもいろんな波長が合いすぎて、そこから一緒に生活を始めるまでほとんど期間を要しませんでした。一緒に暮らすと、生活リズムですとか、距離感ですとか、いろんな物事の合う合わないがわかってくるものですが、それが生活していて一切の違和感を覚えず、自分一人だけでいるよりも自由でいられるのです。様々な点で考え方が一緒ではあるのですが、例えるなら双子のようなというよりも、手の左右、鏡像関係といいますか、お互いに得意分野やバックグラウンドが違って、そして相手の持っているスキルやバックグラウンドがお互いが自らに対して不足に感じていることでもあり、互いのことを素直にすごいと思い尊敬しあい、なにか目的を帯びたときには補いあうことができるような、言うなれば「つがい」とでも言うべき間柄でしょうか。自分はこのひとが隣にいてはじめて一人前なんだと気付かされるとともに、お互いの良さを尊敬し活かしあえる人と出会ったことの仕合わせを噛みしめながら日々を過ごしました。一緒に暮らしていてなにか問題が起きれば解決していく覚悟はできているので、まずは1年間いっしょに暮らしてみて、その後のことはその時に考えようという事にしました。そして、これはもう一緒にいない意味が無いなと互いに確信し、一緒に暮らしはじめて丁度1年めの2022年6月7日の記念日に合わせて、いよいよ入籍しようという運びになったのです。

 入籍の話と同時進行で、いっしょに北海道へ旅行に行きたいねという話も同時進行しており、婚姻届を旅先の北海道で出すのなんて素敵じゃないかという話になりました。新婚旅行ということで主人の職場も最大限協力してくださって、6月の2日から7日までのまるっと6日間の休みをいただくことができました。そこで「婚姻届を出すなら、北海道のなかでも、どこで出したいとかある?」と訊くと「うーん、あんまり土地勘が無いからわかんない」と言われたので「わっかんないなら、稚内にしようか!」ということで、6日間の北海道旅行の最終日に、日本最北の稚内の地で夫婦になって帰ってきました。この旅行の話は、きっとまたどこかで。

急転──新婚生活スタートの余韻をつんざく病魔

 新婚ほやほやでしあわせいっぱいの二人でしたが、主人は体調面ですこし気がかりなことがありました。右耳のリンパ節のあたりに痛みがあり、最初は押すと痛みがあったのが、しだいに押さなくても痛むようになってきたのです。地元の町医者にも診てもらったのですが「風邪でリンパが腫れてるだけ」とのことで解決せず、旅行中も時々痛み止めを飲みながら過ごしていました。痛くてしょうがないのでなんとかしようということで、旅行から帰ってきてすぐに、信用ならない地元の医者ではなく、よりちゃんとした医者に診てもらうことにしました。

 町医者から「ただの風邪」と言われていた先入観もあってそこまで重たく考えてはいなかったのですが、医者から告げられたのはまったく予想もしていない事でした。「耳下腺の腫瘍でしょう。多くは良性ですが、手術が必要です。痛みがあるとなると悪性のこともあるので、大きな病院で検査を受けてください」と。耳下腺という聞き慣れない臓器と、腫瘍というショッキングなワード。そして悪性の可能性があるから、手術ができる病院で詳しい検査が必要、と。

 二人でずっと一緒にいる約束をしたばかりなのに、もしかしたら一緒にいられなくなるかもしれない。聞いた時は「良性だといなあ、手術となると大変だなあ」くらいの気持ちでいましたが、考えるにつれて段々と心配に。それを解消するようにあれこれ調べるわけですが、調べれば調べるほど、主人の状態が悪性の可能性が高いことを示す情報が出てきて、気が滅入るので調べるのをやめると、それはそれで心配に。主人は自身が悪性の可能性が高いことにまだ気づいていないようだけども、主人のことだから気づいたらその時はいまの自分と同じように思い詰めてしまうかもしれない。そうなったときに自分がちゃんと横で説明して、心配な気持ちを共有して、一緒に闘っていけるよう、まずは自分が立ち直ってしゃんとしなくては。長く一緒にいるために最善の行動をとろうと動きだすにつれて、約束した未来の不確実性を恐れる気持ちは、その獲得のために共に闘う覚悟へと変わっていきました。

 県内の大病院で検査の予約を入れたのですが、そこでもいくつか気がかりなことがありました。一つに、初診の日までだいぶ間があったということです。なんたって20代ですから、もし悪性だった場合には進行が早く手遅れになってしまうかもしれない、もっと早くできないのかという焦りがありました。次に、技術の問題です。耳下腺腫瘍の手術は顔面神経の取り扱いが難しく後遺症によって著しくQOLを損なうので、手術は実績のある病院で受けるのが望ましいとのこと。予約をとっていた県内の病院は大きい病院ではありましたが、耳下腺腫瘍の治療実績はあまり無いようで、そこで検査を受けても他の病院への紹介になったらさらに治療が遅れますし、紹介無しで手術をすることになったらそれこそ心配でした。また患部の痛みも日に日に増してゆき、早くこの苦痛から主人を解放してほしい一心で、「痛み止めでも貰いにいこう」と都内の耳鼻科にかかってもらい、紹介状をもらってその翌日には手術実績の豊富な都内の大学病院の診察を受けることができました。(これは純然たる愚痴なのですが、埼玉県内と東京都内では電車で数十分しか違わないのに、町医者は質的に、また大病院も量的に、あまりにもかけ離れているのは一体どういった事情なんでしょうかね。今思うと、あのとき都内の病院を受診する決断をしていなかったら、きっと手遅れになっていたのではないかと、恐ろしく思います。そしてあの場面で、埼玉の医者を見限って都内に出る選択をとれる埼玉県民が一体どれくらいの割合でしょうか。『翔んで埼玉』の「埼玉県民にはそこら辺の草でも食わせておけ!埼玉県民ならそれで治る!」というセリフがにわかにリアリティを帯びてきて、なんだか笑えないです。)
 そこで受けた診断は、悪性の耳下腺がんでした。心の準備はできていたので、ああ、やはり、と。耳下腺がんには様々な種類があり、悪性度によって予後が大きく異なり、また術前診断が困難なことやそもそもの症例が少ない希少がんということも相まって、ひとまずは手術を受けてみて確定診断の結果が出るまでは、予後について安心することもできなければ覚悟をきめるにも至らない宙ぶらりんの状態でした。

 14時間というキング・オブ・夜行バス「はかた号」に匹敵する長丁場の大手術が無事終わり、何日も経ってからようやく確定診断の結果が出て、高悪性の粘表皮がんという結果でした。予後としては良くない方の診断結果ということになりますが、その結果が出る頃には、予後が良いも悪いも主人は一人しかいないんだから、もうやる事をなんでもやってベストを尽くすしかないなという気持ちで、特に大きなショックはありませんでした。

 手術していただいた限りでは腫瘍は無事取り切れていたとのことで一安心として、そこから術後照射として陽子線治療(保険適用内)のために筑波まで通うなど、できる限りのベストを尽くして、治療を無事ひととおり終えることができました。

 現在は薬や処置などは一通り終え、定期的に検査のために仕事の合間に病院に通っている状況です。周囲のあたたかいサポートのおかげ様もあって職場にも復帰し、あわただしい日常がようやく戻ってきたなとしみじみしています。詳しい経過の話などは、またいつかどこかでお話しすることにいたしましょうか。

 そんなこんなで入籍してからの約半年間、非常にばたばたしておりましてご報告が遅れた次第でございます。「入籍直後のしあわせな時期に大変ね」と、身の回りのひとは労ってくださってありがたいと思う反面、自分個人の立場としては、これが入籍前でなくてよかった、不幸中のさいわいだったと思わずにはいられません。法律上の婚姻関係にあるからこそスムーズに支えられることもありましたし、病気がわかってからだとバタバタして入籍の話も宙に浮いていたかもしれませんから。ただでさえ希少な耳下腺がんを20代で発症したというのはそれこそ天文学的な確率で運の悪いことですが、その中で出来ることを出来る範囲でやって、ベストを尽くせたのは純粋に良かったなと思います。

 というわけで、激動の2022年をなんとか終えることができそうです。それでは皆様もどうかお身体に気をつけて、良いお年を!


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