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電気もあるよ、非電化工房

2021年11月のあたまに、栃木県那須塩原の非電化工房というところに行ってきました。

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きっかけ

行ってみようと思ったのは、友人ゆーみんが、今年の4月からここに1年間の弟子入りをしたことをきっかけに。非電化工房には先生がいて、先生から様々なことを学ぶ弟子が毎年数人とられる。今年で13期になるそうだ。ゆーみんから聞くところによると、先生は発明家で、非電化浄水器、非電化冷蔵庫、などなど電気を使わずして使える家電を生み出し売っていて、弟子には建築や農業、ものづくりのことを実際に手を動かすことによって教えているらしい。

何やらすごい施設に、すごい先生がいると思い、いつか行こうと思っていたところ、稲刈りのお手伝いのタイミングで非電化工房へ数日ステイができることになった。

今回も雑多につらつらと感じたこと、非電化工房のことを書いていく。

非電化工房の暮らし

非電化と聞くと、独立した集落で電気を使わず、火を起こしたり、早寝早起きをしたりしながら暮らすイメージを持つかもしれない。私自身もそう思っていたが、実際に行くと「あ、電気あるのね」と、どこか(電気の全くない少し生活力のある暮らしをやってみたかったためか)がっかりするような安心するような感覚になる。

(詳しいことは弟子の方のノートや他の記事を見て欲しいのだが、)食事をみんなで取る場所の母屋はスイッチを押すと電気がつく、洗濯は洗濯機をつかっている。今回の私の滞在先のちいさなもみがらの壁の建物の中では、携帯の充電ができる、といった具合に電気のある滞在を送った。一部分、電灯がソーラーで蓄電したものだったりしたので、自分たちで賄っている電気の方が多いのかもしれないが、ここには電気はある。

非電化工房の施設内に、非電化カフェというのがある。一般の方向けに、現在は土日の日中のみ営業しているカフェで、ここは完全に非電化。灯りにはアルコールランプを用いている。弟子の方々が、交代で当番をして、お店に立っている。

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今回のメインは稲刈り

今回の滞在では、二反の田んぼの稲刈りを土日丸2日使って行った。カマを使った手刈りに加えて、コンバイン一台をみんなで使う。刈り取った後には稲をひとまとまりにし、紐で結ぶ。結んだ稲をハザにかけて天日干しするまでがゴールだった。結果的には目標としていたところまでは終わらなかったが、全ての稲を刈り取ることができた。こんなに大変なプロセスを経て米が食べられるようになること、知っていたつもりではいたが実際に自分が手を動かし、ほんの少し関わっただけで米の尊さ、ありがたさが自分の実体験をともなってマシマシになった。

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非電化工房の先生

非電化工房に着くと、他のメンバーはすでに畑に集まっていて、私が合流すると先生が集合をかけて朝の挨拶が始まった。それぞれのメンバーの簡単な紹介と作業の流れを先生が常ににこやかにお話しする。白い立派な髭を蓄えた先生は、柔らかい口調で「はるかちゃんと呼んでもいいですか?」と尋ねてくださる。そしてみんなに、手刈りのやり方を実演を通して教えてくださった。

先生は物理の博士号を持っていて、昔お金持ちをやっていた、背の高い体のしっかりとした70歳くらいの男性。以前は奥様と逗子あたりに住んでいたそうだ。話がいつも連想ゲームのように広がり、引き出しがとっても多いことを2日の滞在を通してでもわかった。作業の日先生は、オンラインのセミナーがあり、基本的に畑にはいなかった。

非電化工房では、弟子制度のほかにオンラインで塾もやっている。課題で手を動かしながら学ぶそうだ。納豆を作ったり、ハーブティーをつくったり。

人間のキャパシティの測り方

よく器の大きな人になりなさいとか言われるが、器の大きさを測る機会は、今までの人生の中で一度もなかったなあと思う。今回、稲刈りの中で、少なくとも自分の器というか、配慮や思いやりを持った行動ができるために必要な体力どのくらいか測れる機会が幾度かあったなあと思う。

稲刈りは単純作業といえど、体力を使う。弟子の皆さんは、先生がいない場面で今まで教わってきたことを活かしながら自分なりに正解を見定めて、5人の見解をすり合わせながら私のようなお手伝いの人に指示を出していく必要があった。

体力面でも精神面でも、余裕がない場面でのコミュケーションは、自分の言いたいことが、言い回しの配慮やいろんな可能性の想定する暇なく言葉が出てしまう。つまりは、自分が本当に思ってることが、素の状態で出てしまう。個人的には、そのときに出てくる言葉や、態度がその人自身の素力というか、キャパシティだなと感じた。

自分のコミュケーションのキャパシティを測りたい時には体力をできるだけ使い切った上で、目的達成のために他者と協力が必要な場で、リーダーシップを取ると良い、のかもしれない。そういった場を先生は意図して用意し、弟子たちに学ばせているような雰囲気も感じたので、かなり設計されたストレッチゾーンに居続ける弟子の皆さんは、かなりストレスが多いと思う。反面、本当に自分の限界状態の態度に少し余裕が持てるようになったり、体力がなくても思いやりができるようになるかもしれない修業の場にいることは、羨ましくもあった。

エコビレッジへの誤解

非電化工房に来るような人たちは、いわゆるエコビレッジへの関心がある人が多い。

エコビレッジとは、持続可能性を目標としたまちづくりや社会づくりのコンセプト、またそのコミュニティ。(Wikipediaより)

先生の話によると1990年代に、世界的にエコビレッジは増え、幾多の失敗を経て下図が大幅に減少した。そこから学んだことは、エコビレッジに対する誤解があったこと。

 その1:経済的に自立しなくても良かった

コミュニティ内で経済的に自立し、自分たちで経済を回せるように。いわば、外の世界と断絶しても生活が続けられるようにしなくてはいけないという誤解があった。現在も残るエコビレッジの共通点として、経済的自立を目指さないという要素がある。

 その2:絶対に共同生活を送らなくても良かった

エコビレッジは、ともに暮らしながら生活を造っていくものだ!という誤解があった。現在も残るエコビレッジは、世帯ごとに家を持ったり、ある程度距離が離れたところに住んで週末だけ作業に関わるメンバーがいたり、緩やかな関わりが許容されていることが多い。

 その3:農業の完全自給にこだわらなくても良い

エコビレッジ=自給自足のイメージにとらわれていた。確かに、私もエコビレッジと言ったら、自給自足で自分たちが造ったもので暮らすイメージをどこかで持っていた。非電化工房も、藤野にあるゆるゆるエコビレッジも、そういえば完全自給ではないが、もらいものや採れたものをうまく生活に取り入れながら暮らしていたことを思い出す。

(他にも、要素があった気がするが、ご飯中に先生が話していたことだったので忘れてしまった…。一緒にいたメンバーに聞いてみて追記できればします…。)

どうして非電化工房に電気があるのか

これらの話を聞いて、非電化工房に電気があることも、そのゆるやかさから来るものだと理解した。資本主義を批判し、現世というか社会から繋がりや電気水道を断絶し、自分たちの生活を送ろうとするも苦しさが生まれる。やはり、必要な部分・使わないとしんどい部分では電気やガスをつかってもいいよというゆるさがないと、持続的な暮らしは難しいというリアルを理解した。現実的に実現可能なラインが見えたことはとても大きかった。

シンプルに考えるくせのある私は、全世界電気とか使わないで暮らしたら、いろんな問題解決するじゃん!と思ったこともあったが、体験と歴史を通して現実を知れたことはとてもありがたいことだった。全世界電気とか使わないのは、無理だった。

さて持続的に生きてみたい、地球に迷惑をかけずに暮らしたい私はここからどうしていこうか。無理という答えあったこと、そのことが歴史から学べること自体が私を大きく前進させてくれた。

▼夜の主屋

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田舎暮らしの誤解

田舎で暮らしたいと思っている都会の人にも誤解があった。先生も逗子から那須塩原へ移住していることから、また歴史の話をしてくださった。

 その1:田舎では絶対に農業しなくても良い

田舎に移住する=農業に従事するという誤解があった。日本の田舎は昔から続いているところが強く、新規で就農することはとてもハードルが高い。しかし、それが当然と思われ、チャレンジし失敗する人が多かった。自分でできることを身に着けて、その上で就農せずとも暮らしていける事が大事。

 その2:地元の人に受け入れられなくても良い

田舎に行くときにはその土地の人に受け入れられて、楽しく生きていかないといけないと思いこむ人が多かった。実際、私にもそのイメージはある。もちろん仲良くなれるなら、いいことだが無理に溶け込もうとする必要もないと先生はおっしゃられた。

実際、私が今年訪れた長野・小布施も広島・大崎下島も、移住者やゆるい関係をもった人同士のコミュニティがあり、訪問した際には私もそのコミュニティの中で暮らすことが多い。そのコミュニティの中で地域の人と関わりを持つことを意識している人もいれば、そうでもない人もいる。だからこそ、よそ者はより参加しやすいコミュニティになっているのだなと感じた。

私の行っている場所が偶然そんなコミュニティだったのかと思いきや、先生の口からそんな共通項があると聞くと、かなり地域の活性にはパターンが有るのだなと思った。

暮らしにあってほしいもの

今回の滞在で一緒にもみがらハウスに、ステイした新しい友人ゆりあちゃんはギターを弾き、カホンを叩き、すらっとした歌を歌う素敵なひとだった。私の人生にあってほしいのは、音楽であり、ギターを弾いてくれる友人だなあと痛感した。ゆりあちゃんは、田んぼでの作業中や夜暖炉を暖める時間にギターを弾いてくれた。非電化工房を離れてから1週間経つがまだ私の頭の中は、みんなと楽しんだ音楽で満たされている。

今日、京都に住む友人と電話をしているときに「最近楽しかったことは?」と聞かれて、非電化工房でゆりあちゃんのギターでみんなと歌ったことが浮かんできて、これは私にとって相当大切な出来事だったなあと思い書き記した。こにいても、ギターを弾いてくれる友人がいてほしい。

楽しいと思うことがパッと答えられた自分にちょっと誇らしくなった。またこれからも、旅をして自分の琴線を揺らし、生きていたいなあと思う、那須塩原滞在でした。










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