サタン

怒り方を知らない。どこからが怒りなのか、どこから怒っていいのか、わからない。
ただ今まで得た知識と経験が、これは「憤怒」だと、そう教えてくれた。

7つあるうちの重い方から4番目。「憤怒」というこの感情は“大罪”とされるらしい。
憤怒はどうして大罪に数えられているのだろう。
怒らせた人こそ大罪ではないか。どうして怒る側が悪いのだろう。都合の悪い者。そんなの、こちらからみても同じなのに。

そんなペラっペラな感情だけでその正義が通ると思っているのだろうか。甘い。甘すぎる。原因を作ったのはそっちじゃないか。
下腹部に黒い渦が巻く感覚がする。それがどんどん上へ上へと登ってくる。心が染められる。喉まで登る。毒を吐きたくなった。

遮断したくなった。とにかく存在を感じたくなかった。いないものにしてしまいたかった。見えないものはないものであるといういつかの狂った殺人犯の気持ちが少しわかった。見えないだけで幾分か楽になった。
わたしがこんなにも傷つけられて、こんなにも悩まされているのに、のうのうと生きているのが憎かった。傷をつけたくなった。
ただただ本当に憎かった。それでも、自分を敗者にしてまで復讐しようとは思わなかった。
だから自ら敗者になって貰いたいと思った。自ら落とし穴に落ちていってくれれば、いつかここを通る人の安全のために、わたしは今まででいちばん優しく土を被せてあげるのに。
燃えたぎる炎のように怒りの感情が渦巻いているのを実感する。それなのに、頭の中は至って静かだった。たくさんの文字が行き交ういつもの場所とは思えないほどに、何も無かった。
それでも、もう燃えるものが無くなろうと、ずっと炎は消えず、むしろ大きくなっていくのがわかった。街は燃え尽き、森の木々に燃え移っていくのが見えた。

愚かにも消化器ひとつで闘おうとしているのが見えた。バカバカしかった。潔く燃えてしまえばいいのにと思った。
炎を一度消そうと思った。まだ助けられようとしている姿を見て、腹が立った。
罪を犯した。だから罰を受けるべきなのだ。
悪いことをしたら怒られる。大昔から学んできたことではないか。その罪の重さを理解していないから、まともに罰も受けられないまま逃げ回るのだ。その姿はいつか見た、食料を食い荒らす害獣そのものだった。

一挙手一投足がこの炎に空気を送った。毎秒炎が大きくなっていくのがわかった。熱い、熱い。
たしかに熱いはずなのに、やっぱり頭はとてつもなく冷たかった。
傷を与えるだけの存在なんてくだらない。塵と一緒に燃やしてしまえばいいんだ。燃えることすら勿体ないくらいだ。

その汚い足で綺麗に磨き上げた床を歩くな。
そのトゲを無意識だろうと意識的だろうと人に向けるな。物にも向けるな。一生そのトゲで誰かを傷つけないように細心の注意を払って、誰かを傷つけることに脅えて閉じこもっていろ。

死ぬ時は1人で、長く長く苦しむんだ。
カロンの船では暴れてケロベロスに連れ出されるんだ。ケロベロスに脅えて萎縮したお前に、ハデス様は牢行きの切符をくれるだろう。
大した正義でもないくせに傲慢な態度をとっているお前は、牢の様子を見に来たハデス様に楯突くんだろう。なんて愚かなんだ。そしてまたケロベロスに怯むんだろう。

魂が浄化されてやっと消えてくれる。
やっとこの憤怒も落ち着くんだ。
やっと、やっと抱えた大罪を下ろせる。

大罪を抱えていた?
いや、抱えさせられていたのではないか。



少し遠くから焦げ臭い匂いがした。

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