「地域とカルチャーに還元する仕組み作りを」熱いバイブスでクラブ企画やwebメディアを生み出すさのかずや氏の挑戦
「安定した暮らしがないとカルチャーは成立しないし。その地域で挑戦する人たちが死なないだけの安定、カルチャーに没頭できるだけの安定を生み出したい」
東京と北海道を中心に全国各地でフリーランスの新規事業企画/テクノロジストとして活躍するさのかずや氏。カルチャーに強い関心を寄せ、地元・北海道東部のオホーツク海側地域のコミュニティに焦点を当てたwebメディア「オホーツク島」を運営するほか、東京・渋谷でレジデントVJを務めるパーティー「TIPS」を定期開催している。2019年2月には道東での音楽イベントも開始し、その活動は多岐にわたる。地域と人、インターネット、そしてカルチャー。コミュニティ形成のハブとしても一役買い、精力的に活動を広げるさのかずや氏の原動力とは、そしてその視線の先には何があるのだろうか――。
【image 提供:さのかずや氏/Photo by →SATOMIN←】
北海道の端、インターネットとの出会い
1991年、北海道オホーツク管内遠軽町。町の人口は2万人弱。遠軽町で生まれ育ち遠軽町から出たことがないという両親の元に生まれた。スーパーや生活必需品の買い物には困らないものの、ブックオフや映画館といったいわゆるロードサイド店舗が揃う隣町・北見市までは車で1時間かかる。引きこもり気質だった幼少期、あまり外の世界とは積極的に関わらなかった。
思春期に差し掛かる頃、インターネットに夢中になったことをきっかけにさのかずや氏の意識は外へと向く。当時、自宅にあったPCは少し古めのWindows98。「『ペイントとかはいいけど、ネットはするな』っていう親だったから、家で1人の時にネットに触れた。フラッシュとかテキストサイトが流行ってた時期だったからそういうのを見て、自分で作れないかなって。ブラウザ上でFTPができる『ふりーぺ』とか『ジオシティーズ』でテキストサイト作ったり。2005年くらいに、テキストサイトのコンテストとかにも参加したりして、中学生のころからネット上の知り合いがちょこちょこ出来てたな」。
ネット上で交流を進める一方、北海道の端の町で過ごしているという現実を感じることもあった。幼少期から母親が車で流していたJUDY AND MARYなどに親しんでいたさのかずや氏。音楽への興味も増していったのは中学時代だ。「HTB(北海道のテレビ局)が深夜にメロコアを流し続けてて、その影響でパンクとかメロコアにハマって、中学1~2年の時に通販で1万円くらいのギターとアンプのセットを買って友達の家で弾いたり」
地元の味気無さを感じた思春期と都会での音楽体験
しかし、地元の町では音楽の話ができる友人はそう多くなく、ネット上で教えてもらった音楽に魅力を感じることが多かった。「外に出た方がおもしろい人がいるんじゃないかなって思いと、親元を離れたいという思いもあって……」。中学3年の夏、周囲の友人のほとんどが進学する町内の高校ではなく、隣町の高校進学を決意。入学と同時に高校生でも入居可能な下宿先での一人暮らしを始めた。
高校入学後の下宿先では親の反対で部屋にネット回線が引けず、ガラケーでmixiを利用するなど身近な友達との交流に使う程度だった。高校3年間はインターネットから少し距離を置き、その分陸上部での活動やバンド音楽に熱中。HAWAIIAN6やガガガSPなど、北見に来たロックバンドのライブに足を運んだ。「でもやっぱり、北見も端っこだから札幌でやるライブとか行けなくてもやもやすることはありましたね。ELLEGARDENの休止発表後のツアーとか、北見でやってくれれば行けるのに……って思ったし」と吐露する。
「その時は、住んでたところが田舎だっていう思いと、青臭い考えだけど『バカやってるけど頭良い』みたいなことへの憧れもあって。偏差値的に受かりそうなところで、先生に言われて「つぶしがききそう」なところで、北海道大より上の国立に行こうと。陸上やってたし陸上の靴作ってみたいな、くらいの気持ちで大阪大の機械工学に行って。周り真面目な人ばっかりでつまんなくて、陸上も続けてたけど勉強の忙しさもあって途中休部というか、一旦辞めて教職とかバイトとか色々やった。音楽イベントにも足を運ぶようになったのもそのころ」
2010年頃、バンドを見に行ったライブハウスでROCK PARTY『Getting Better』と出会う。また、「大学がつまらない」と感じる気持ちはロック系の音楽イベントに足を向かわせると同時に、高校時代から少し距離を置いていたインターネットにも再び興味を持たせた。「普段会わない人と会いたいなあと思ってSNSで大阪大のオフ会したりとか。当時はネットレーベルとか全然知らなかったんだけど、高校の同級生で電気通信大に行ったやつがDJサークルで、ネットレーベル界隈の一角にいたりして。でもまあなんとなく観測してただけで。その後僕は部活に戻って、就活もして。ダメだったら院にいこうと思って30個くらい受けたうち、1つだけ受かって東京の広告代理店に入れたんだよね」。
2013年、東京に来てからは職業柄、平日は馬車馬のように働きながら休日はライブや音楽フェスに足を伸ばした。大阪で出会ったパーティー『Getting Better』など下北沢で開催されていたオールナイトパーティーに足を運び、クラブイベントのスタッフとしても関わるようになった。運営の手伝いとしてVJブースの隣に座り、VJが少し席を外すときには代わりを任されることも。元々プログラミングを用いた映像制作に興味があったこともあり、VJに強く惹かれていったという。しかし、仕事が忙しいこともあり、そこまで多くの時間は割けなかった。
上京後の周囲の言葉、父親の求職が地元を見つめ直すきっかけに
「多忙な中でも自分で何かパーティーをやってみたいって思いはあって、六本木のbarで地元を勝手に宣伝するDJとトークするイベントみたいなのを2回くらいやった。仕事関係の人に出身地聞かれて北海道の遠軽町って答えたら次には『どこ?何があるの?』って絶対返ってくるのがなんかちょっと悔しくて……せっかくだしアピールしようと思って」
中学卒業と同時に親元を離れ、大学進学で北海道からも出たさのかずや氏。地元や地方に目を向けるようになった一番のきっかけは大学4年生のことだと振り返る。
「実家の父親が体調崩したことがあって。数ヶ月安静にするようにって言われて。当時は40代後半だったし、ずっと勤めてきた会社も復帰を待ってくれるとは言ってくれたんだけど、父親は仕事を辞めちゃったんだ。普通に働けるから、求職活動をしてて。リビングに置いてあった求人情報誌をチラッと見てみたら介護とか土建とか肉体労働系ばかりで。40代後半に職を辞めた父でもできる仕事が地方にはないことを知って。自分の教育実習期間と父親の求職がかぶってモヤモヤして、それをブログに書いたらものすごくバズったんです。いろんな意見はあったけど『地方×仕事』とか、みんな興味あるってそこで気付いた」。
様々な想いを抱えたまま働いていたさのかずや氏は、「作りたいものを作れるようになりたい」と一念発起。仕事を辞め、岐阜県にある情報科学芸術大学院大学(IAMAS)へと進学した。
大学院でネットの面白さを再認識、コミュニティやカルチャーにも着目
IAMASでは、プログラミング学習や読書に精を出す中、インターネットカルチャーに詳しい教授の城一裕氏と出会った。城氏からインターネットとコミュニティについて多くの知見を共有してもらい、その中でMaltine Recordsなどを知ったという。IAMASでも音楽イベントチームに参加したさのかずや氏は、IAMASの学生や教授、OBとともにパーティーを企画。大垣市・本巣市を走るローカル線樽見鉄道を貸し切って行う「クラブトレイン」を走らせたりもした。「こういったイベントにtomadさんとかを招いて。“インターネットとカルチャー”みたいな面白さにもIAMASで改めて認識したんだ」。
当初はプログラミングを学ぼうと入学したIAMASだったが、地方やコミュニティ、インターネットとカルチャーをテーマに何かできないかと考えるようになった。長く興味が持てることとして地元を選び、北海道オホーツク海側地域のおもしろい人をつなげていくwebメディア「オホーツク島」を立ち上げる。当時はWELQ事件など、まとめサイトの流行期でもありネット上に有象無象が溢れかえっていた。形の残るwebメディアを作りたいとして始めた「オホーツク島」は現在も続いている。
IAMASを卒業後は、再び東京に戻り新規事業企画などに携わる。さのかずや氏は、「自分の作ったwebメディアで食べていくのは現実的じゃない。新しくて意味のあるものを作りたいけど、意味のあるものとお金を稼げるものは決してイコールじゃないから。でも、カルチャーや意味のあることをするにはお金が必要だから」と冷静に客観視する。
大学院を卒業後は、東京の企業に就職した。東京に戻って以降、自らもレジデントVJを務めるパーティー『TIPS』にも参加。仲間とともにパーティーを作りあげている。
釧路から始まる道東のパーティー『さいはて』、ハングリーな若者のそばで
2018年春以降、フリーランスとなったさのかずや氏は仕事と並行してカルチャー方面での活動にもさらに精を出している。北海道・釧路市を出入りしていた時、コワーキングスペース運営者と知り合い、地元の人々との輪も広げていった。「そこで知り合ったカズマ君っていう同い年の子が『釧路でマルチネ聴いてるのたぶん俺ぐらいですよ!』って言ってて。じゃあ今度釧路でイベントしようって話になったんだよね。18年の9月にはトークとちょっとしたDJイベントをやって、19年の2月からは道東のパーティー『さいはて』をスタートさせたんだ」。
「『道東のパーティー』と銘打って始めたのにも理由があって、今回はたまたま釧路のコワーキングスペースで始めたけど、道東と呼ばれる地域の中で場所さえあればどこでも開催できるっていう巡業スタイルでやっていきたい。そうすれば相対的に文化圏を広げられるし。たとえば、遠軽町に住む中学生からすると、釧路であるイベントも東京であるイベントも同じくらい行くのが難しいんだよね。大人でも車で何時間もかかる。自分が中学高校の時に『札幌ばっかりでつまんない』って思ってたことをなくしたい。どこにでもカルチャーに飢えてる人はいる」
東京と地方の文化機会を均等にする仕組みを
「エッジのきいたものに興味がある人はエッジのきいたことができるし、そういった人を巡業しながら繋いでいけたらおもしろいんじゃないかなって。1人で尖ったことしてると田舎じゃ迫害されがちだけど、誰かが見てくれてることをわかってもらったり、来てくれた人同士で意気投合して何か始めて。これをきっかけに道東からトラックメイカーとか出てきてくれたら面白いし」
そう語るさのかずや氏は、自分が北海道のカルチャーのためにできることとして新たに民泊事業も始める。「ニューヨークとか上海とかに行った時、強いカルチャーには人脈とか権威とかまとまったお金がついていることを学んだ。だからちゃんとお金を稼ぐ手立てとして、とりあえず今できそうなこととして民泊を始めて、向こうで稼いだお金は北海道だからできるカルチャーに還元する。自分が必要だと思うカルチャーと地域にお金を還元する仕組みを作りたい。安定した暮らしがないとカルチャーは成立しないし。死なないだけの安定、カルチャーに没頭できるだけの安定を生み出したい。最終的には北海道の超田舎暮らしでも、東京に住んでいてもカルチャー的な機会が均等で、面白いことやってる人が田舎でつぶされないようにしたい」と未来を見据える。
地方から何かカルチャーが世界に出て行くとき、どうしても一度東京を経由しがちだ。全てではないが地方での取り組む人たちも、名が売れてくれば東京に進出してしまう。さのかずや氏は、そういった現状や既存の枠組みにとらわれず、たとえば北海道と東アジア、東南アジアの文化が直接交わるなど広域文化圏を国内の地域と国際間で築くだけの盛り上がりを創出することも視野に入れているという。出自や自らの経験を糧に、人、地域、カルチャー、コミュニティ――、すべてをフラットに俯瞰しようとするさのかずや氏の挑戦はとどまるところを知らない。
🐶 さのかずやさんがVJ出演するTIPS 🐶
🌟 次回は、3月15日 に開催です 🌟
【取材/執筆 野依史乃(わんわん)】
🐶contact『クラブと生活』 ハッシュタグ:#クラブと生活
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1994年北九州生まれ。東京在住ですがいろんな地域のクラブで遊びたい。ブレイクコアとラガジャングルを中心になんでもすき。あと犬。記者/ライター/編集の仕事などをしています。私生活においてのライティングはnoteのみです。過去の文章は以下から。
🐶 My past article in a magazine
▽ 「LAST NIGHT MUSIC SAVED MY LIFE」―dj colaboy氏インタビュー、HOMESICK10周年に寄せて
▽ 浮世の夜、夢と生活の狭間で。ZINE始めます
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