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五感を刺激してバランスを整える。

人間は、「道具を使う」ために脳を発達させてきた。

だが空を飛ぶ鳥を見て思う。

文明の利器を奪われたら、人間には何が残るのだろう。と


魚は水中で呼吸をし、尾びれを使って泳ぐ。
鳥は羽を広げて、移動をする。
群れをなして大陸を大移動する者もいる。


時間がかかっても、時間をかけてでも、それが自然の定めなのだから、それぞれの身体の特徴を生かして生きている。


ここでもう一度質問に戻る。

我々から文明の利器を取ると、何が残るのだろうか。

答えは至ってシンプル。

我々には、「脚を使う」という手段が残される。


確かに、車や電車は長距離を移動するのには便利なのだけど、片道5キロほどであれば、私は徒歩を選ぶことが多い。

なぜなら、入ってくる情報量と情報の質が違うからで、その「情報」は時に私の乱れたバランスを整える作用があるからだ。

目に入ってくる情報、嗅覚で感じる情報、肌で感じる情報。

私のうちに秘めたるバランスを整えるための情報。

だから今日も私は歩く。


先日は朝の5時頃、お散歩に出かけた。

蜘蛛が織りなす芸術は、朝露がまだ残る時間帯に拝観可能だ。

橋の上、ポールの間、草の上、ちょっとしたところに、蜘蛛のマンションが存在する。車窓からなかなかみることのできない景色である。



夕方、お散歩に出かけた時のことである。

「なんの花だろう」と疑問に思ったので調べてみると、菊の花らしいことがわかった。

「菊」だと知れば、今度はここを通るたびに「春菊っぽい匂いがする。すなわち菊の匂いか」という考えが頭をよぎる。

ここの花壇には、たくさんの種類のお花が植えられていて、どれがどの花の匂いなのかを嗅ぎ分けることは至難のわざだけど、菊の匂いだけは、特定することができるのだから驚きである。


留学先のオーストラリアでもたくさんの薔薇を見たことを思い出す。

道路の脇に植えられた薔薇の木。

薄いピンクの薔薇には「誇り」という花言葉があるそうだ。

一つ一つの花に目を向けると、名前や花言葉、色、葉の特徴など、観察力がつく気がする。


こちらは、夕陽に照らされた紫陽花の株である。

蕾が膨らみ始めた頃で、花が開くのはもうすこし先になりそうである。


ちなみに、本日はこちらを見つけた。

WA ROCKの石。



どこにあったかというと

まぁ、こういう道端に。。


ちなみに、WA ROCKとは、西オーストラリア発祥のちょっとした遊びのことで、秋田県でもよく見かける。(WA ROCKとは



当たり前だけど、車に比べて徒歩は時間がかかる。

だけど、あえて時間をかけて歩くことに、私は意味を感じている。


歩いていると、五感が刺激される。

花の匂い、水の匂い。
湿度や風。
色があるところ、ないところ。

目を向けるのは、信号や対向車ではなく、地面に生える草木や空の色。

自然と、人工物には目を向けなくなるし、
自然に「自然と向き合うこと」ができる。


心と身体のバランスが乱れていないうちから、こうして五感を刺激し、
世界の流れから離脱する時間を持つことが、バランスを保つための方法だと私は実感している。


乱れてからでは遅いから...


乱れていない、元気なうちから、自然の中に流れる、誰も操作することのできない「自然の時間」に身を投じること。そして、自然の流れを感じること。



今日も素敵な1日になりますように



*今回の写真はすべて、5月と6月のお散歩中に撮影

2020.06.12

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